先が見えないことについて – Day 87

今朝聴いていたポッドキャストで不確実性(Uncertainty)の話題が出ていたので、今日はそのことについて。

私も、昔は不確実なことが大嫌いだった。先が見えないと不安で、怖くて、どうしてもこの先どうなるのか知らないと気が済まなかった。

幸い、すこし前にこのことに関しては学んだので、今では不確実なことがあっても、embraceできるようになった。不確実なことがあっても、逃げたり怖がったりせずに、あえて向かっていくような。

私は仕事で日本の方と触れ合う機会が多いが、アメリカやカナダのクライアントさんに比べて日本の人の方が断然不確実性が苦手な人が多いようだ。ちょっとでも先が見えないこと、結果が分からないことがあるとものすごく不安性になる人が多く感じる。

確実なことを求めるのは人の性だと思うので、ある程度は仕方が無いことだと思う。しかし確実性を追い回して人生の全てを細部までコントロールするより、すこしくらい先が見えなくてもなんとかなるさ、と思って生きている方がストレスも少ないし、生きている、と実感することができる。というか、生きるって、そういうことじゃないかと思う。

心配するのも無駄で、人間が、こうなったらどうしようと不安に思うことの99%は実際には起こらない。最悪のケースを想定していしまうのも、生き残るための人の性だと思うが、想定している自分達が正しいことはあまりない。

少し前に信じることと確信との違いを学んで、これは私の人生の中でもかなり上位に入る学びだった。自分が書いたブログの中でもかなり好きなポストだ。

もしあなたが、先が見えないと不安と思っているなら、すこしはレリゴーしてみて欲しい。先が見えないからって死ぬ人はいない。すこしくらい冒険心があっても良いと思う。なるようになるさ、と思っているとストレスもだいぶ減る。

自分のルーツ – Day 86

若い友達が、仕事を辞めて、母親の母国に行って数年過ごすことになった。言葉はこれまでけっこう真面目に勉強してきてたそうだけど、現地に行ってもっと勉強し、まだご存命のおばあちゃんと話ができるようになりたいのだそうだ。良い話だと思う。

私は母国語の日本語以外にも英語が話せることで、オットの側の家族とも話ができるのは、とてもラッキーだと思う。

移民が多いカナダだと、親のどちらか、または両方がカナダじゃない方の国から来ている場合も多く、英語またはフランス語以外の言葉を話す家族というのが親戚にいることが多い。そういうとき、そのもうひとつの言語を話せるか話せないかというのは大きいと思う。

数ヶ月前、ポッドキャストの収録でカナダの先住民のアーティストをインタビューする機会があった。彼も自分の先住民の民族の言語を勉強していて、どうして今それを学ぼうとしているんですか、と聞いた際の彼の答えがとても深かったので、今でもよく覚えている。

彼は「その言語を学ぶことで、自分が完全になる気がするんです」と言っていた。

つきつめると、みんなそうなんじゃ無いかなと思う。失ってしまった言語を学ぶ人は殆どこの為に学んでいるんじゃないかという気がする。

別の友人で、同じように彼の母親の国に行って現地の言葉を学んでいた有事んがいたが、彼も、長いこと心に穴が開いているような気がしていたそうだ。でも、遠い親戚と再会して、言葉を学ぶようになって、その穴が満たすものをようやく見つけた気がする、と言っていたのが印象的だった。

誰だって、自分がどこからやって来たのか、そのルーツを知りたいのだと思う。言い古されたことかも知れないけど、真実だと思う。私の子供達も大人になったら日本に行って私のサイドの家族のことを知りたいと言い出すかもしれない。それはありきたりなことと言うよりも、ある種の通過儀礼のようなものかもしれないと思う。









あなたはひとりじゃない – Day 85

最近よく考えること。

英語で ”You don’t know what you don’t know” 知らないことは知らない、みたいな意味だけど、経験したことがないことは経験したことがない人にはわからないということ。当たり前と言ってしまえばそれまでだけど、だからこそ、他の人の立場に立って考えることがすごく大事という話を、さっき収録したポッドキャストでも話していた。

もしあなたが子供を持ったことが無かったら、65歳じゃなかったら、仕事をクビになったことが無かったら、病気の家族を持ったことが無かったら、愛する人を亡くしたことが無かったら、女の子とつきあったことが無かったら、自転車に乗ったことが無かったら、子供を保育園に入れたことが無かったら、カミングアウトしたことが無かったら、飛行機に乗ったことが無かったら、戦争を体験したことが無かったら、外国に行ったことが無かったら、先住民、黒人、またはアジア人として生まれていなかったら。。。

それと同時に、私達はひとりじゃないということも忘れてはいけない。

もしあなたが何かに圧倒される気分になるとき、ストレスを感じるとき、寂しいとき、悲しいとき、鬱状態のとき、何かに頭にきているとき、自分が何をしているのかわからないとき、自分には価値が無いと感じるとき、 人生でなにをすればいいのかわからないとき。。。

あなたはひとりじゃない。

あなたと同じように感じている人がこの地球のどこかに居ることを、私が約束します。または、以前あなたと同じように感じていた人。だからこそ、自分が感じていることを共有することが大切。必ず「その気持ち、すごくわかる」もしくは「私も以前そう感じていた」「私もそれ経験した」と言ってくれる人がいる。

だからすべての感情を自分のなかにとどめないで欲しい。吐き出すことって、すごく大事だと思う。吐き出す相手がどこにも見つからない場合は、私が話を聞きます。ほんとよ。

嘘をつくひと- Day84

今日は何を書こうかいまいち決められなかったんだけど、この数日のテーマは嘘をつく人、しかもこの数日の件は全て嘘をつく女だった。。。

こういうのって本当に理解に苦しむ。嘘って90%くらいの割合でバレると思うし—SNSが普及している現代では特に—全く価値のないことだと思う。

というか嘘をつく人の知性を疑う。

今日は疲れているけど締め切りがあるのでこの辺で。

嘘をつかず、正直に生きましょう。

Real is the new sexy.









謝らない女 – Day 83

最近つとめていることについて。

毎日、何らかの依頼がインボックスに入ってくる。翻訳やプルーフリーディングの依頼だったり、ボランティア業務だったりする。

バウンダリーを駆使して、できないことにNOと言うことはかなり上手くなったけど、未だに抜けないのが、つい謝ってしまうこと。

例:

「ユカリ、3ページの医療翻訳の依頼が来てて、今週末締め切りなんだけどできる?」

ごめん、もうすでに今週受け入れたプロジェクトで一杯だから新規は受け入れられないの」

この最初の謝る部分を無くそうとしている。

依頼を断ることは悪いと思うが、謝る必要は無いと思う。

「ぜひ引き受けたいところだけど、無理だわ」と言ってそれで充分なはず。

もちろん、自分が悪いことをしたときや、本当に悪いと思っている時は謝って全く構わないと思っている。ただ、女性は全体的に必要以上に謝りすぎだと思うのだ。

例2:

今日、仕事の後ガソリンスタンドで給油していたら、バックパッカー風の恰好をした男性が近寄ってきて言った:

「すみません、ナナイモ方面へ行きますか?Are you going toward Nanaimo?

若い男性は、どこのか聞き分けられなかったけど—アイルランドかな—素敵なアクセントで、いかにもナイスガイという感じ。

もちろん、彼がいかに「ナイスガイ」に見えようが私の知ったことではない。ナイーブだった昔なら、乗せて行っていたかも知れないが、シリアルキラーのテッド・バンディーだってめちゃくちゃチャーミングな男だったのだと知っている今ではFuck Politenessなのでたとえ実際に自分がナナイモ方面に行くとしても、知らない男性を車に乗せることはない。

話を元に戻そう。

「すみません、ナナイモ方面へ行きますか?」 彼が言ったのはその一言だけだったけど、ヒッチハイクをしているというのは明らかだ。

私の口からでた最初の言葉は:

「ごめんなさい!行かないんです!I’m sorry! I’m not!

彼が本当にナイスガイに見えたので、本当に気の毒に思ってしまった。本当に、最初に口からでたのが、I’m sorry!だったのだ。

これではいかん。

私が言うべきだったのは、一言だけ「行きません。」でよかったのに。

もっと練習が必要だ。

ジェネレーションギャップ – Day 82

今日は近所で行われたストーリーテリングを聴きに行ってきた。思っていたよりかなり年配の人ばかりで(子供はうちの息子だけ)、アウェイ感半端ない。でもストーリーはそれなりに面白かったので、来月も行くか、迷うところ。

今ストーリーテリングにハマっていて、自分がストーリーテリングをしたいという訳ではないのだけど、いろいろ研究している状況。いろんなストーリーテリングの会に行ってみるのは(教会行かないヒトだけど)新しい土地で通う教会を探すのに雰囲気的に似ている気がする。自分にあう場所を探しているという意味で。

また最近、世代というものについてよく考える。今一緒にバイト先で仕事をしている子達はかなり世代が下で、私はそこまで苦にならないけど、彼女たちからしたら自分は「おばさん」だということは重々承知している。

私もかつて20代の頃、40代なんて年寄り、と思っていたので、その罰(笑)を今受けているというか、若い人がそういう考えをするのはごく普通だと思っている。 そして今夜は、自分より上の世代の人達の集まりに行ってみて、やはりジェネレーションギャップというものはあるよなと思ってしまった。

今日の集まりでは「今日初めて来た人〜?」と聞かれて手をあげた数名のうち、「このグループをどうやって知りました?」と聞かれた答えが、年配の男性は「新聞のイベント紹介記事で読みました」と答え、私は「Facebookのイベントで見ました」と答えた。このへんにもギャップが。

完璧な世界だったら、年齢に関係なくみんな交流できるのだろうけど、世代の文化というものにはかなり差があるため、ちょっとアウェイになるとかなり気まずい。

そして、私が自分達の世代の集まりに若い人を呼んだりすると、彼/彼女たちもきっと居心地悪いのだろう。それは残念だけど仕方が無い。

私達がシニアになったとき、どんな感じなのか思わず考えてみた。老人ホームでは白黒のクラシック映画の代わりに「フレンズ」マラソンとかやってたりして。孫に、iPhoneってなに?テキストメッセージってなに?って聞かれたりね。

まだ先の事だけど、自分たちがどんなシニア世代になるのか、ちょっと気になる。。。

ヘイトクライム – Day 81

今日はかなり滅入っているので短く。

世の中にまん延するヘイトに滅入っている。

トランス(トランスジェンダーのこと。英語圏ではトランス、と短くいうことが多い)のFacebookフレンドが、某SNSであまりにひどいヘイト画像にタグ付けされていた。フレンド仲間たちで、そのタグ付けしたアカウントを報告して一応アカウントは削除されたのだが、別の名前でまた新しいアカウントを作り、この友達をまたターゲットにしてきた。ショッキングな画像で、これを知った友人からのコメントの多くは「なんて酷い。なんでこんなことを!」のようなものだったが、トランスの友達は「トランスの人間には、こういうハラスメントは日常茶飯事なんです」と言っていて、さらに滅入った。

クライストチャーチや他の都市で起こる乱射事件もそう。

悲しい。

子供番組をやっていたあの神様のようなミスター・ロジャーズは「怖いことがあったら、助ける人(ヘルパー)を探してごらん。どんな怖い事件の時も、必ずそこで助けようとしている人がいるから」と言っていたけど、自然災害ならともかく、誰かが誰かを意図的に傷つけようとするヘイトクライムの場合、ヘルパーを見つけるだけでは救われない。どんなにサポートやヘルパーが居ても、一度つけられた傷は、簡単にもとには戻らないのだから。









進むべき道 – Day 80

昨日書いたことに似ている考え方として、「進むべき道に向かっているなら、何事もスムーズにいくものだ」というものがある。

昔知り合いの女性で、遠距離恋愛をしていた人がいたが、トラブル続きだった。そしてそのトラブルの殆どが、外的要因によるものだった。たとえば2人で旅行に行こうとすると彼のパスポートが見つからないとか、彼が彼女に会いに来ようとすると入国審査で引っかかったりなど。結局その人とは彼女は別れてしまったのだが、その後彼女は別の男性と知りあった。その人とは全くなんの問題もなくトントン拍子に話が進み、婚約し、今では結婚して子供もいる。彼女が婚約したころに「前の彼とは全てが大変だったので、ふつうの交際がどんなものなのか忘れてたけど、今の彼とは全てが簡単。」と言っていたことをよく覚えている。

これは私も信じる。自分が進むべき道に居るとき/一緒になるべき人といるときは、何事もスムーズに進むものだ。

プロジェクトや何かをやっているとき、あまりにも問題が多い場合は「こっちに進むべきではない」というメッセージなのだと受け取ることが多い。

この数年私も「こっちに行くな」というメッセージが多かったので、今軌道修正中だ。まだ、今の道が正しい道なのかどうかははっきりしない。必ずしも「スムーズ」な道ではないからだ。でも明らかな「NO」のメッセージが出てくるまでは、しばらく進んでみようと思っている。

宇宙のたくらみ – Day 79

「いちど心を決めると、宇宙がそれを実現しようと助けてくれる」

という言葉がある。

あなたはそれを信じますか?

私にはわからない。

実際に自分に起こったことがないから。

でもさっき、学んでみたいトピックのオンラインコースが$49から$15に割引になっていたので即買いした。

そしてこの言葉を思い出したんだけど。

これを起こるべくして起こった偶然とみるか、単なる優れたマーケティングとみるか。

私は正直どっちでも良い。私は普段オンラインコースをすぐに買ったりするタイプではないので(いつもは無料の大学講座を取っている)、買いたいものが目の前に現れたのには、ちょっと驚いたけど。

時が経てばわかる。

Workin’ Moms – Day 78

今私達がハマっているTV番組は“Workin’ Moms”というNetflixのドラマだ。タイトルの通り、4人の小さな子供を抱えるワーママをめぐるコメディドラマ。テレビを普段観ない私は全然知らなかったのだが、もとはカナダのCBCが制作した番組で、このたびNetflixにやってきたというわけ。オンラインで友達が見ている番組としてよくこの番組の名前を聞くようになったので、オットと一緒に観てみたら、かなり面白くてハマってしまった。

カナダで制作される番組ははっきり言ってアメリカの大予算ものに比べるとショボいことが多いのだが、これは女優さん達も演技上手いし(特にアン役のDani)、4人の全く違うタイプのワーママキャラを出してきているところなど、SATCを意識してるなーと思わずにいられないけど、その割にストーリーも面白くて、まだシーズン1だけどこれからもっと面白くなりそう。

番組はそのままでも充分面白いのだが、私にとって何が楽しみかというと、番組に登場する赤ちゃんたちだ。各エピソードは4人のママたちが、「マミー&ミー」みたいな、赤ちゃんサークルのようなセッティングで様々な—授乳のことや、セックスのことなど—を話すシーンから始まるのだが、その周りで赤ちゃんたちが座ったり遊んだりコロコロしていたりして超和む。

私は長男が21歳、次男が10歳なので、完全に、赤ちゃんがいるとすぐにだっこしたがる怪しいおばちゃん化している。初対面の人でも赤ちゃんがいるとすぐにベビーシッターしますよ、などと言ってしまう。そしてほぼ毎回マジ。自分はもう子供はいらないけど、赤ちゃんってなんであんなに癒やされるのだろうか。なのでテレビを観ていて可愛い赤ちゃんがでてくると、「Baby!」と叫ぶのが癖になってしまっている。

私は今でも映画・TV業界に入ろうかどうか悩んでいるのだけど、なぜこの業界に興味があるかというと、私は昔から舞台裏というものにすごく興味があるからだ。テレビや映画を観ていて、すごいシーンになると「これっていったいどうやって撮影したんだろう??」ということがものすごく気になるタイプなのだ。

なので毎回赤ちゃんが出てくるシーンになると、「撮影大変だっただろうなあ」と制作クルーの人達のことを考えずにはいられない。英語では「子供と動物とは仕事するな」とこの業界では言われる。不測の事態が起きて撮影に支障をきたしたり時間がかかったりするから。赤ちゃん1人セットにいるだけで大変だと思うけど、こんなに何人も赤ちゃんいたらさぞかし大変だろうなと思う。撮影の時間になったらお昼寝しちゃったりしてね。(話は逸れるけどブラッドレー・クーパー主演の「アメリカン・スナイパー」で明らかに人形の赤ちゃんを使っているのは、ちゃっちゃと撮影することで有名なクリント・イーストウッド監督が、人間の赤ちゃんがセットで準備できていなかったため、待ちきれずに人形を使ったという話を聞いたことがある。観てみると、バレバレで可笑しいw)

それよりもっと気になるのが、赤ちゃんが号泣しているシーン。いったいどうやって撮影してるんだろう?わざとお腹をすかせる?つねったりするのかな?(まさかね)それとも、本当のママがスタジオを去るところを見せちゃうとか?動物と同じで、もちろん赤ちゃんに実際に危害を加えているわけはないと思うけど、それじゃあ一体どうやってるんだろう?もし業界の方で真相を知っている人がいたらぜひ教えて欲しい。