そしてこれで終わり – Day100

#The100dayproject 4日目

今日でこの毎日ブログを書くのも100日目になった。正直言って、英語と日本語でそれぞれ書いていたのでかなり大変だった。。。。また、ただでさえ時間のない日々、疲れ果ててもう書けない、辞めたいと思ったこともある。

どうせ誰も読んでないし、1日くらいスキップしたって誰も気にしないとも思った。そしてそれは真実だと思う。

でも、自分が気にする。

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私のスーパーパワー -Day 99

#The100dayproject 3日目

私にはスーパーパワーがあって、それは1日に何度も昼寝できることだ。

私は朝型人間なので、大体朝5時か時にはそれより早く起きることもある。家族がまだ寝静まっている早朝は、自分の好きなことができる貴重な時間だ。そしてだいたいこの時間に絵も描いている。

仕事はできるだけ頭が冴えている朝のうちに片付けようと思うのだが、大体10時前後に疲れてくる。そこで昼寝をする。

ベッドに入るか、またはカウチにブランケットを持って横になり、iPhoneのアラームをセットし、通知をオフにする。そして目を閉じる。

実際に眠っている—無意識になっている—時間はきっと15から20分程度だと思う。目が覚めると、大抵の場合、眠りに落ちていたのは一瞬だけのような気がするが、いつもリフレッシュした気分になれる。

今日は2回昼寝をした。息子のラグビーの練習が朝8時からあったので、いつもより早く起きて早く家を出なければならず、9時半にはすでに疲れていた。なので 9:45-10:15まで昼寝。

その後、11時にオットと一緒にワークショップに参加してきた。帰宅したのが12時半で、その後1時から私はビデオカンファレンスがあった。ビデオが終わったあと、また疲れていたが、息子の学校のお迎えのため2時半には家を出ないといけない。そこで1:45から2:20pmまで2回目の昼寝をした。

いちど、この100日書くプロジェクトの途中のある日、ものすごく疲れていて何も書けない、というような日があった。すでにその時点で真夜中近かったのだが、何も書いていなかった。結局、20分ほど昼寝をし、その日のブログを書いて、そのあとぐっすり寝た。

私にとって睡眠とはとても重要なものだ。眠いと、何もできなくなるので、そういうときはすぐに寝るようにしている。

オットもそんな私に慣れて、日中私が昼寝しているときはそっとしておいてくれる。眠いときにすぐに、何度でも昼寝ができる体質で本当に良かったと思う。昼寝は、私にとってコーヒーより効き目がある。

ミスター・ロジャース -Day 98

#The100DayProject 2日目

昨夜、アメリカの子供番組 ”Mister Rogers’ Neighborhood”のホストとして北米では知らない人のいない、フレッド・ロジャースに関するドキュメンタリー、”Won’t You Be My Neighbor?”を見た。 私は宗教を信じないけれど、ミスター・ロジャースは信仰するかのように尊敬している。もう故人だけど、彼ほど「人に親切にしなさい、そしてありのままの自分を愛しなさい」というメッセージを体現した人はいないと思う。

番組を一度も見たことが無い人でも(日本では放送されなかったようだし、このドキュメンタリーも日本語版は出ていないよう)ビデオを見るとすぐにミスター・ロジャースの柔らかい語り口と、どんな子供にも真剣に耳を傾ける様子に、胸を打たれる人が多いのではと思う。彼は本当に特別な人だったのだ。

ドキュメンタリーを見ると、彼は本当に番組に出てくるそのままの人柄で、裏表のない人物だったようだ。黒人差別がまだ酷かった60年代に、黒人の郵便配達人と一緒に子供用プールで足を水につけ涼むシーンなどは、人種差別に対するフレッド・ロジャースの暗黙の声明だったという。愛が全ての根底にあると信じたミスター・ロジャースの人生には、教えられることばかりだ。

詳細はここには書けないが、今日、ある子供が、学校で大人にどんな気持ちにさせられたかを話す場に立ち会った。

ミスター・ロジャースは

“Children have very deep feeling, just the way everybody does(子供だって、大人と同じように深い感情を持っているんです” と言っていた。

私は神学者でも幼児教育の専門家でもないが、フレッド・ロジャースの100分の1でも彼に近づけるよう、みんなに親切に、そして思いやりを持って—

特に子供には—接するように少なくとも努力している。

もしそれが出来ない人は、そして逆に子供に恥をかかせるような人は、教育に関わるべきではないと思う。

母である以前に、私 – Day 97

#The100dayprojectの1日目の絵

これは今までに何度も色々な場所で言ってきたことだけど、私は自分は母である前に女であると思っている。

最近、友情についてよく考える。私の知っている女性は世代に関わらず、みんな忙しい。学校、仕事、恋愛、育児、家族、両親。。。みんな忙しい。

特に私の世代、30代後半から40代後半になると、女友達と遊びに行くような時間はほとんどない。しかもみんな疲れているので、余った時間は全て睡眠や休息にまわしたいというのが本音だろう。

もしそれを聞いて終わってる、と思うあなたはきっと30代以下の方だろう。

私にとって友情とは2ウェイストリート—一方通行でなく、相互に行き来できるものだ。お互いがその友情が長続きするよう努力しないといけない。

世の中には、二つのタイプの女性がいるように思える。ひとつは、自分の時間をすべて家族と過ごしたい女性と、そうでない女性。私は後者だ。

誤解されないように言っておくが、私も自分の家族は愛している。でも時々は自分のためだけのことをしたい。もしくは、友達と過ごしたい。だから私はポッドキャストをしたりものを書いたり絵を描いたりする。これらのものが、私を私にしているものなんだな。

Workin’ MomsというTV番組がどんなに好きかについては以前も書いたが、それはきっと主人公のケイト(演じているのはこの番組のクリエイターでもあるCatherine Reitman)が彼女も母親である以前にケイトだからだと思う。私は彼女にとても共感する。この番組は世の中の私達「ケイト」が感じるジレンマ—良い母親で良い妻でもありたいけれどそれ以前に自分であることをあきらめられない女—というのを上手く表現できているからだと思う。それをあきらめると、自分が自分でなくなってしまうのだ。

これは、家族とずっと時間を過ごしたいと思う女性たちへの当てつけではない(こういう但し書きを書かないといけないのも悲しいが、これまでの経験で学んでいるので)。私はただ、自分が幸せでいるためには自分を大事にしないといけないと言っているだけで、そのことに関しては謝る気もない。ただ、私達の友情が失われていくことがすこし悲しいだけだ。

退屈する暇 -Day 96

これは昨日書いたことに関連しているけど、今日は4月1日ということと、春休み明けの最初の日ということもあり、バタバタした1日だった。今日は早く寝るという人も多いのでは。私もその1人。

明日から、今年で3回目となるThe 100 Day Projectに参加して、100日毎日絵を描くことになる。今やっている100日毎日ブログを書くというプロジェクトと、公式のThe 100 Day Project (100日何かクリエイティブなことをするというプロジェクト)は重ならないと思っていたのだが、どうやら私のミスだったようで、公式の#The100DayProjectは明日から始まる。この100日書くプロジェクトは思いついた日に自分で始めたものだが、公式のThe 100 Day Projectは開始日が決まっているので、みんなと一緒に始めようと思う。書いた絵はInstagramに投稿していく予定。というわけでこれからの5日間は英語と日本語でブログを毎日書き、かつ水彩も毎日描くことになる。 楽しそうだ。

そして明日は日本のラジオ番組に生主演することになっている。

退屈する暇がないとはまさにこのこと。









時代の終わり – Day 95

今朝、シンクで食器を洗っていたら足下に水たまりができていた。どうやらパイプから水漏れしていたのだ。そして、ガラスのキャセロール皿も粉々に割った。この二つの出来事は30分の間に起こった。

結局、水漏れはすぐに直せたし、ガラスの破片もすべて綺麗に掃除することができたのだけど、先日のウォルマート事件のこともあり、これはきっともっと注意をしなさいというメッセージなのだろうなと思った。このところ忙しくで注意散漫になっていたから。

以前、友人が、お皿が割れたりする時はそれが自分の身代わりになってくれているのだと言っていた。具体的にどういうことなのか今ひとつ私にもわからないが、自分に起こっていなくて良かった。

日本では4月から年度が変わるため、移り変わりと新しいスタートの時期だ。SNSでも沢山の友人たちが新しい職場や学校のことを投稿している。

今日はまた新しい年号—令和—が発表された日でもあった。平成は4月30日で終わり、5月1日から新しい時代が始まる。まさに今、ひとつの時代が終わろうとしている。

カナダの4月1日は明日だけど、次男の3学期が始まり、また長男も大学最後の週だ。 カナダの新学期は秋だけど、春もやはり移り変わりの時期である。だから私も注意散漫になっていたのかもしれない。

私もこの春にはすこし変化を予定しているので、気を引き締めてがんばろうと思う。

レジュメ – Day 94

今日はあるプロジェクトにピッチするためにレジュメを更新した。Facebookにも書いたけど、40過ぎた今でもレジュメを書いたり送ったりするときすごくヴァルネラブルな気分になる。自分の評価を紙一枚で先方にゆだねることになるからだろうな。各セクションにいろいろ注釈つけたくなったし。

今、とあるクライアントさんの求人をヴァーチャルアシスタントみたいな感じで手伝っていているのだが、普段あまりレジュメを読む側になったことがない私にとってはとても興味深い。良いレジュメとダメダメなレジュメがあったりして、なかなか勉強になる。担当者(私)へのメールでの物言いがすごくずさんだったり、ワードファイルでレジュメ送ってきたりとか。。

今日送ったレジュメとピッチは自分的には頑張った物だったので、うまく通ると良いのだが。









すべて自分のせい – Day 93

水星が逆行するとコミュニケーションが上手くいかなくなったり物が壊れたり調子が悪くなったりするという。ちょうど今年最初の水星逆行が終わったらしい。私はそこまで信心深いわけではないが、これまでに何回か水星逆行しているときに問題があったりしたので、毎回これがやってくるとうんざりする。ちょうど数日前に、インスタグラムでこんなミームを見つけて、Facebookのグループでシェアして笑っていたところだった。水星逆行というのはとかく何か上手くいかないときの言い訳に使われるからだ。(クレジット:adamjk)

そして今日。朝一にドクターのアポがあった。私のドクターは家から歩いて5分程の距離にあるので、普通だったら歩いて行き歩いて帰宅するのだが、今日は正午からバイトが入っており、ウォルマートに買い物に行く用事もあったため、ドクターのところへは車で行き、その後車でウォルマートへ行き買い物を済ませようと計画した。

ウォルマートは家から車でほんの15分くらいの距離にあるのだが、ほんとうに行きたくない場所だ。行くたびにうんざりするけど、ここで買い物をしなくても済むほどリッチな訳でもないので、2週間に1回程度まとめて買い物をすることにしている。今日がその日だったわけだ。

ウォルマートでカートいっぱいに商品をいれてレジに向かい、自分の番になったときになってはじめて、財布を忘れてきたことに気がついた。

あわててレジの女性に、財布を忘れてきたのでレジに並んだ商品を全て置いて行かなければいけないことを伝えた。彼女は、あとで財布を持って戻ってきた時に払えるように、カートに入れたまま置いておきましょうか、と言ってくれたけど、私はバイトに向かわなければいけなかったので本当に申し訳ないけれど戻ってくる時間がないので全て誰かに戻してもらって下さいと平謝りしてでてきた。帰宅すると、財布は前の日に使ったバッグの中に入っていた。バッグを変えたのに財布を移動するのを忘れていたのだ。

思わず、例のミームを思い出して笑ってしまった。水星逆行が終わってしまったので、誰をも責めることはできず、すべて自分のせいだから。

消費して忘れる – Day 92

今日はThe OAのシーズン2の最初のエピソードを見た。うちのオットがどうしても見たいという「君も大好きだったじゃない。覚えてないの?」

ハッキリ言って、全く覚えていなかったので、YouTubeでシーズン1のまとめと説明をいったん見てから、Netflixでシーズン2を見ることになった。とりあえずまとめを見てこれまでのあらすじは大体思い出せたし、確かにすごい興味深いストーリーラインだとは思うし、ずっと見てたら多分ハマるだろうなとは思えたけど、とりあえず今夜は一話だけで止めておいた。

こういうことは私にはよくある。

何かの番組を見てものすごくハマり、どれだけ好きかを人に話しまくるのだが、シーズンを見終えるとその後はすぐに忘れてしまう。

もちろんこういった番組を制作するには時間がかかるし、下手すると数年間が開いてしまうもある。それに文句を言っているわけではない。ただ、見た側から忘れるって我ながらどうなん、と思ってしまう。

オレンジイズザニューブラックも、ストレンジャー・シングスも、This is Usも、Shameless も、ブレイキング・バッドもみんなそうだった。

こう感じるのは私だけじゃないと思うけど。

私達がいるのはまさに消費して忘れる経済だなと思った。

ストリーミングサービスは相変わらず大人気で(アップルも参入するらしいしね)暫くはとどまるところを知らなそうだ。でもそれは良いことなのか?意義のあることなのか?









誰にもわからない – Day 91

先のことはわからない。不確実性に関しては先日も書いたけど、私達はみんな先がどうなるのか知りたい。そしてコントロールしたい。でもそれは不可能だ。

そして先を知ることが出来ない場合、私達は往々にして、最悪の状況を想定してしまう。これはある意味人間の防御機構だと思うのだが、ほとんどの場合、その計算は間違っていることが多い。

この数日、ストレスがたまっていることがあった。とあることが起こり、そのことでクライアントに怒られるのではないか、と胃がチクチク痛むような気がするほどだった。しかしこれは最終的に全く違う方向に展開し、クライアントは私に礼を言うほどだった。

こういうことは私にはよくある。最近になってようやく学んできていることだが、最悪のケースというのは本当にならないことが多い。 実際に起こることもあることはあるが、起こらないことの方が多い。

人生のどん底という場所に、私も何度か落ちたことがある。

でも、次に何が起こるか分からないのが人生だ。

以前にも紹介したQueer Eyeのジョナサン・ヴァン・ネスの話で大好きなのが、彼のポッドキャストの話だ。

彼がQueer Eyeで一躍有名人になる以前、彼は美容師で、Gay of Thronesというウェブシリーズのホストで、またポッドキャスターでもあった。

このポッドキャストは以前は今のEarwolfとは別のネットワークで配信されていたが、ある日番組が打ち切りになった。そしてその次の日に、彼はQueer Eye出演決定の知らせをもらうのである。ジョナサンはポッドキャストに情熱を持っていたのでEarwolfにてコツコツとポッドキャストを続けていたが、Queer Eyeの大ヒットのおかげで、彼のポッドキャストも大人気だ。以前のネットワークはさぞかし悔しがっているに違いない。

今日の教訓は、たとえどんなに打ち負かされた気持ちになっても絶対に自分を信じ続けること。明日、どんな事が起こるか、誰にも分からないのだから。