「日本における人種差別、多様性、インクルージョンについての考察」イベント報告

日本における人種差別、多様性、インクルージョンについての考察 ポスター
写真提供:SHO
写真提供:SHO

このブログには書く時間が無かったのですが、6月24日に、「日本における人種差別、多様性、インクルージョンについての考察」というオンラインイベントを開催しました。現在アメリカで起こっている人種差別に対するデモ活動、Black Lives Matter運動について、オンラインでニュースや、いろんな人の意見を見たり聞いたりすることが増えました。そんな中「日本には人種差別がない」また対岸の火事状態で自国のことはさておき「アメリカは怖い」などという意見をあまりにも多くみるようになり、危機感を感じて急遽企画したイベントでした。

イベントは私のポッドキャスト「はみだし系ライフの歩きかた」と、当ポッドキャストのお友達ポッドキャスト、Super Smash Hoesの二人 Fahreenとエリカさんとの共催になりました。またTwitterでお友達になったPenguさん(彼女には近々ポッドキャストにゲストで出て頂きます)が裏方として素晴らしい助けになったことにここで感謝します。

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カナダ在住日本人移民の横のつながり

ウィニペグにあるCanadian Museum of Human Rights

全カナダ日系人協会については、2017年のオタワでのカンファレンス、そして2015年のビクトリアでのカンファレンスについて、それぞれ書いていますが、今年2018年のAGMとカンファレンスはウィニペグで行われました。

日系カナダ人が第2次世界大戦時に敵国の市民として強制的に収容、移動させられたことについてはこれまでにも何度か書いていますが、今年はその収容等に関する謝罪と補償(リドレス)が政府から認められてから30周年ということ、そしてウィニペグのCanadian Museum of Human Rightsがカンファレンスとガラ会場ということもあり、今年は人権にフォーカスが置かれたカンファレンスでした。

リドレス書類に署名するブライアン・マローニー首相の写真。隣に写っているのがアート・ミキ氏

ウィニペグのアート・ミキ氏は、1988年に当時カナダの首相だったブライアン・マローニーと共に、戦時中の強制退去によりトラウマを負った日系カナダ人への謝罪と補償(リドレス)の実現に貢献した日系カナダ人のリーダーとしてカナダ全国に名前の知られた人ですが、今回マニトバ日本人協会からLifetime Achievement Awardを与えられました。

本文と関係ありませんが、日系カナダ人作家のマーク・サカモト氏に会うことができたのも今回のカンフェレンスで嬉しかったことのひとつです。

金曜日から始まったAGMとカンファレンスですが、今年のセッションは「癒やしとしてみるリドレス」「リドレス30年後の今、リドレスは何を意味するのか」「他コミュニティに聞く、人権問題の対処法」など、先に述べたように人権問題に強くフォーカスしたセッションが多くありました。

各コミュニティに聞く、人権問題への対処法

特に、中国系カナダ人(Head taxという、移民1人あたりの不公平な税金をかけられた)、ウクライナコミュニティ(第1次世界大戦時に日本人と同じように強制収容された)、先住民/インディジネスコミュニティ(インディアン寄宿学校・行方不明または殺害されたインディジネスの女性達)の代表に集まって話してもらった各コミュニティの人権に関する取り組みのセッションは非常に勉強になりました。特に心を打たれたのが、インディジネスの大学講師として人権問題に取り組み、アクティビストとしても活動されているNiigaan Jim Sinclair氏の「先住民でいるということは、自分の家に勝手に知らない人が入ってきて、トイレに押し込まれること」というたとえ話でした。カナダやアメリカに白人がやってきて以来、先住民の人達はリザーブと呼ばれる居住地に追いやられてしまいました。このあたりの話はポッドキャストで詳しく話しているのでぜひ聞いてみてください。

カナダ中から集まった日系カナダ人。世代を超えたトークが印象的だった

他にも、人権団体として、今起こっている人権問題(アメリカを初めとする移民排除感情や、性差別、LGBTQ差別などなど)にどう取り組みべきか、などグループでのディスカッションもありました。ポッドキャストでもよく話していることですが、まずは、「知らんふりをしない」、何か不正義(Injustice)が行われているのを目撃したら声をあげる、ということは何人もの人から意見が寄せられました。もちろん、言うは易し、ですが、少しづつ日々の生活の中で練習していくことが大切だと思います。

最後のセッションは、次の世代の日系カナダ人との会話というグループセッションで下は20代から上は90代まで、セッション参加者で輪になって様々な意見を交換するというもので、これも、腹を割った意見交換ができて、とても良かったと思います。

日系カナダ人ではない、一日本人移民として思ったことは、今年のカンファレンスには移民に関するトピックが全くなく、寂しいなあということでした。去年は、移民の参加者で集まって、NAJCがカナダに住む日本人移民のために何ができるかについて色々を話をしたのですが。。。

戦時中に強制収容された世代はどんどん年代が上がってきており、次の世代を担っていくのは日系4世、5世の若者達です。彼らは日本語が話せることがあまりなく、日本の文化からも離れてきてしまっていますが、必ずしもそれは本意ではなく、もっと日本の文化について学びたいという人も多いようです。実際、今回のカンファレンスで知りあった20代の若者の中には、つまみ工芸を学んでヘアアクセサリーを作っている人や、日本の「感謝」というコンセプトでビクトリアでお芝居をプロデュースしている人も居ます。

NAJCは日系カナダ人の団体なので、私達のような日本人移民には関係ない、と思う方も多いかもしれませんが、私はそうは思いません。実際、今年のカンフェレンスでも、ウィニペグ、オタワ、エドモントン、ホワイトホースに住む日本人移民の方々とお友達になれました。

カナダに住む日本人移民同士のつながりを強めたい。

トロントやバンクーバーのような都会では、日本人移民向けサービスが充実しており、メディカルサービスやシニアケアなどが日本語で受けられたりしますが、ビクトリアのような小さいコミュニティではまだまだそのようなサービスはありません。例えば、ビクトリア近辺には日本語の話せる精神科医という方がいません。(以前はいらっしゃったのですが、最近リタイアされたとか)そのような時に、日本語でカウンセリングのできる精神科医のような方にアクセスできると、心強いなあと思います。

今回ウィニペグでお会いしたみなさんには、カナダ在住の日本人移民の横の繋がりを強めましょうね、とお話しました。

今年から、トロント在住の日本人の方がNAJCの理事に入られましたので、これからますます、NAJCによる日本人へのサービスが拡大されていくことを期待します。









カナダに住む日本人移住者へのサービス

私が住んでいるビクトリアにはビクトリア日系文化協会(Victoria Nikkei Cultural Society-VNCS)という団体があり、私はそこで理事の1人としてボランティアしていますが、先週末、VNCSがメンバーとして加入している国レベルの団体、日系カナダ人協会(National Association of Japanese Canadians-NAJC)のAGMとカンファレンスにビクトリア代表として出席するため、オタワまで行ってきました。 2015年にはこのイベントをビクトリアで開催し、その時のことはこちらのブログに詳しく書いています

2011年の統計によれば、カナダに住んでいる日系人(日本人、日系カナダ人を含め、バックグラウンドが日本だと言う人)は10万人程度いるのだそうで、そのうち移民は2万5千人、子供が3万人で、日本からやってきたいわゆる「新移住者」は5万5千人、全体の半分以上を占めていますが、NAJCの名前を聞いたことがある人は少ないかも知れません。NAJCはこれまでは主に「日系カナダ人」をサポートする団体として知られています。

カナダには19世紀の終わりごろから日本からの移民が増え、「一世」と呼ばれていますが、これらの人々の多くは、カナダで出稼ぎをして日本に帰るのではなく、カナダ人としてカナダに骨を埋めるためやって来た人達です。第二次世界大戦中、真珠湾攻撃の前後から、日本人は敵国の人種と見なされ、1942年、ブリティッシュ・コロンビア州西海岸に住んでいた日系人は、家を退去するよう命令され、BC州内部の小さなコミュニティに強制的に移動させられました。家や車、漁船などの資産はそのまま置いていくように指示され、殆どが没収され、強制収容そのものの資金を作るために所有者の許可なく売り払われました。

このあたりの歴史は日本の学校でも学ばないので私もカナダに来るまで殆ど知らなかったことです。(詳しい内容は日系博物館のサイトをどうぞ。)

1998年にカナダに移住してきて以来、日本人の友達は少しづつ増えて行き、ビクトリアにあるVNCSで日本の文化を伝える活動をしていることを知り、会員になり、数年前からは理事として参加しています。日系文化協会(VNCS)の会員の殆どは日系カナダ人またはカナダ人で、私のような日本人移民は三割程度でしょうか。会員になるには日本人や日系人でなければいけないという決まりもないので、日本の文化に興味のある人なら誰でも参加できます。

NAJCでは、日系カナダ人の高齢化が進み、その人口も減ってくると共にそれに反比例する形で日本からの移住者が増えてくることを鑑みて、移住者へのサービスを積極的に行うことを現在思索中です。

オタワでのカンファレンスでは、新移住者をテーマにしたパネルディスカッションがあり、カールトン大学助教授の朝倉健太さんと主婦のニワノマリコさんからそれぞれお話を伺いました。朝倉さんからは、LGBTQの若者が日本の移住者の家庭でどのように感じているかなど非常に興味深いお話を伺うことができました。ニワノさんは、お子さんの居る主婦という立場から、カナダに来たばかりの頃、日本語でなかなか情報が得られなかったこと、今後の子供達の日本語力に関してなどご自身の体験をお話いただきました。

その後、日本語・英語両方にて、「NAJCが移住者に関して何ができるのか?」というテーマでのディスカッションも行われました。私は英語のグループにたまたま入りましたが、日本人移住者と日系カナダ人の間に溝を感じる人が多いことや、移住者の立場から、あったら嬉しいサービスなどについて様々なディスカッションが繰り広げられました。

私自身は移住者ですがNAJCやVNCSのような日系団体に積極的に関わっていますが、日本人移住者は日本語が通じる日本人のグループ(お母さんのグループや、趣味のグループなど)で集まり、特に日系人と交わる必要性を感じない方も多いと思います。全体的な感情としては、日系カナダ人のみなさんやNAJCの様な団体は、日本人移住者のみなさんと交流したい、サービスを提供したいと思っている人が大半です。

あくまで私個人の意見ですが、私はこのディスカッションでは「日本人移住者は日系人と交流する必要性を感じていないので、移住者にサービスを提供したり交流したければ、移住者がそうすることのメリットまたはバリュー(価値)を提供しなければいけない」と伝えました。

移住者のパネルディスカッションでお話下さったマリコさんは、「来たばっかりのころは英語ができなかったので、日本語での生活サポートがあると嬉しい」と仰っていました。

ただ、英語ができない人への日本語でのサポートは、オンラインはもちろん、オフラインでも、大きな都市ではすでに提供されています。バンクーバーには隣組という日本人のサポート団体がありますし、トロントにはジャパニーズ・ソーシャル・サービスがあり、カウンセリングや情報提供を行っています。

ビクトリアにはソーシャルサービスの団体はありませんが、クチコミなどで様々な情報を得ることができます。VNCSでもメールを頂ければできる限りのお手伝いはしています。

日本人移住者が必要とするサービスとしては、主に以下のものが挙げられました。

ー子供に日本語を教えるサービス(日本語学校など:都市によっては学校がある)

ー困った時の相談先、またはリスト(日本語の話せるドクターや弁護士など)

ー日本語でのカウンセリング。メンタルヘルス・LGBTQ・家庭法関連(私もこれは仕事でよく問い合わせが来ますが、近年日本人移住者の離婚が増えてきています。また日本人移住者の家庭内暴力(DV)の件数も増えているそうです。)

ー高齢者のケア (バンクーバーやトロントには日本語でケアできるシニアホームがありますが、ビクトリアのような小さなコミュニティにはありません。日本人の介護士さんも少ないです。)

また、移住者がカナダに来てどのくらいなのか、自分達や家族がどのくらいの年齢なのかによってこれらの問題は移り変わってきますね。私個人の場合は、子供達は大きいので、プレイグループのようなものは必要ありませんが、コミュニティの日系のお年寄りのケアができたらな、、、と思っています。もちろん、自分がさらに高齢になったら自分自身もケアが必要になってくるでしょう。

NAJCでは、これらの情報を元に、新移住者のための委員会を設立することになり、私もメンバーとして参加する予定です。「こんなサービスが欲しい」などというご意見があれば、ぜひメールでお知らせ下さい。









「白人」への期待

私は、ブログや雑誌に記事を書いたり、翻訳や通訳をする他にも、留学エージェントの仕事をしています。ビクトリアに留学やワーキングホリデーでやってくる日本人の生徒さん達に、語学学校や住む場所(ホームステイやシェアハウス)を紹介するのが仕事です。

住む場所を探す時に、生徒さんにタバコを吸われるか、ホームステイ先に子どもやペットがいても良いかなどの希望を聞き、できるだけご希望にあった家庭をマッチングします。夏は日本からやってくる生徒さんが増えるにも関わらず、ホームステイ先の家庭は夏休みのバケーションなどを取るので、受け入れ可能な家庭の絶対数が減り、毎年夏はものすごく忙しくなります。

そんな中、昔から思っていたことですが、日本の生徒さんからの希望で、いつも言われる度にがっかりすることがあります。それは

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日本人のカナダでの歴史を書いたGateway to Promise翻訳プロジェクト

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カナダにおける日本人、そして日系人に関してはこのサイトでも過去に何度か触れています。私自身は1998年に移民してきたいわゆる「新移住者」ですが、私がここカナダで差別されることなく安定した仕事ができるのは、日本から1880年代に移住してきた日本人のみなさんが基礎を作って下さったからだと思っています。

カナダにおける日本人、そして日系人の歴史というものは、あまり日本では知られていないようです。学校で学んだ記憶もありませんし、戦時中に「敵国人である」と見なされ強制的に収容(Internment)された日系カナダ人のことは、恥ずかしながらつい数年前に知ったという次第です。

カナダに最初に移住した日本人は、長崎県口之津(私も長崎出身ですがこれは知りませんでした)出身の永野萬蔵氏、ということに長いことなっていたのですが、ビクトリア在住の歴史家で著者でもあるゴードンとアン・リー夫妻は独自のリサーチやインタビューを重ね、2013年にGateway to Promite : Canada’s First Japanese Communityという本を出版されました。ゴードンとアン・リーとは私もこの数年来ビクトリア日系協会を通じて様々なお話を聞かせてもらっていたのですが、この本には、ビクトリアの日系コミュニティがどのようにして創られていったか、当時の人々の生活の様子、ビクトリアで客死した新渡戸稲造氏についてなどが380ページにわたり詳細に記録されています。

この本によると、記録に残っている限り、BC州に足を踏み入れた最初の日本人は1834年に遭難した船の乗組員ということになっています。ただこれはFort Langleyの記録で、ビクトリアではありません。それではビクトリアに最初にやってきたのは一体誰なのでしょう?1885年には、Government Streetにある日本雑貨店(この店舗は今でも残っています)で日本人を雇っていたCharles Gabrielのビクトリアでの裁判の記録が残っており、この時点でビクトリアにはすでに日系人のコミュニティがあったことの証拠になっています。

Gateway To Promise 日本語翻訳チーム
撮影:Tom Saunders氏

そして今回、作家の宮松サンダース敬子さんのお声がけで、この本を日本語に訳すというプロジェクトが発足し、ビクトリアはもちろん、バンクーバー、デンマン島、トロント、日本そしてフィリピンから14名の翻訳者が集まりました。そして先日初めての顔合わせ会が行われました。

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宮松邸にて簡単な挨拶、ランチのあと、Ross  Bay Cemetary内の日本人墓地にゴードンとアン・リー夫妻に案内していただきました。ここはビクトリア日系協会で毎年お盆をやっているところでもあります。この墓地の話もGateway to Promiseに登場します。

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墓地ツアーのあとは集まった翻訳者で振り分け作業。約400ページの本を14人で分けるということになりました。様々なバックグラウンドの翻訳者が集まり、みなさんお仕事や子育てでお忙しい中、この本を日本語に翻訳することは歴史的にも大切なことだと信じている方ばかりだと思っています。また今回のチームの中にはプロの翻訳者の方もいらっしゃいますのでとても頼もしく、色々勉強させていただける貴重な機会になりそうです。

このGateway to Promise日本語翻訳プロジェクトはビクトリア日系協会からの補助金を受けており、その大部分は各翻訳者が使用する原本の購入、ミーティングへの交通費などに使われています。現在、印刷代その他かかってくる経費をカバーするためにさらなる補助金または寄付を募っております。ご興味のある方、(発行は来年以降になると思いますが)翻訳本をプレオーダーしたい方などいらっしゃいましたらぜひご連絡下さい。私個人にご送金いただいてもかまいません。責任を持って宮松さんにお渡しします。

翻訳された本はカナダ国内の日本人、日系人はもちろん、日本でも広めたいと思っております。どうぞご協力をお願いいたします。









日系カナダ人協会年次総会

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先日、全国日系カナダ人協会(NAJC – National Association of Japanese Canadian)の年次総会(AGM)がビクトリアで行われました。私はビクトリアの日系文化協会(VNCS)の理事会に入っていて、去年、バンクーバーで行われた年次総会に初めて参加しました。今年はこの年次総会がビクトリアで行われることになり(毎年開催都市が移動する)、ビクトリアの年次総会の計画委員会にも入っていました。

私はいわゆる「日系人」ではありません。20年近く前に佐世保からカナダに移民しましたが、国籍上は日本人、両親も日本人です。ここでいう「日系人」というのは日系カナダ人、つまり両親または祖父母、曾祖父母が日本から移民してきた人達を指します。

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カナダに来て15年

Photo credit: Alex Indigo

今日、2013年7月1日は、私がカナダに到着して15年目の記念日です。

もう15年のような、まだたったの15年のような気もします。

1998年の7月1日、私はまだ10ヶ月だった長男とともに、バンクーバー国際空港に降り立ちました。

当時の夫は、佐世保の語学学校に英語教師として勤めていましたが、ちょうど私たちがカナダ移住を計画し始めた頃に、運良く、某ミリオネアのヨットでキャプテンをしていた彼の兄が、日本をそのヨットで訪問したのです。義兄はその後そのヨットをアラスカまで運ぶという仕事があったのですが、タイミングよく夫もそのヨットでクルーとして雇ってもらうことが出来、彼はヨットでアラスカのジュノーに向かい、その後仕事の後バンクーバーまで飛行機で行く事になりました。

バンクーバー国際空港で夫と無事落ち合ったあと、ウエストバンクーバーの彼の親戚の家に数日お世話になりました。荷物を置き、一休みした後、家族で近くの公園まで歩いて行きました。義理の叔父に「今日は祝日だからね、人が多いよ」と言われ、その時初めて、私が到着した日がカナダデイであるという事に気がつきました。全くの偶然でしたが、カナダデイにカナダ入りしたのは、幸先が良かったのかもしれません。

その公園までの歩き道で、日本では見たことのない花を見かけた事を良く覚えています。この花です。

Hypericum

Hypericumという花だそうです。

その後ビクトリアに移り、ベッド以外にろくに家具のないアパートに引っ越しました。

7、8ヶ月後には私の永住権も取れ、宝石店での売り子の仕事が最初のカナダでの仕事でした。

いったんカムループスという内陸の街へ1年ちょっと、夫の仕事の都合で引っ越しましたが、MBAを取るという夫の為に、またビクトリアに戻る事になりました。

仕事は、語学学校での受付の仕事を数年やったあとに独立して、ビジネスパートナーと一緒に留学エージェントを立ち上げたのが2003年。超がつくくらいのスモールビジネスですが、なんとか10年目を迎えました。

長男もあと2年で大学生だし、次男もこの秋からキンダガーデンです。

その間に、数えきれないくらいの人との出会いがあり、そして同じく、別れもありました。

離婚も、再婚も経験しました。もうやって行けないかも、というくらいの絶望感に陥ったこともあります。

でも、一つだけ言えることは、カナダから出て行く事は一度も選択肢の中にでてくることなかったと言う事です。

高校生くらいの頃から漠然と、「将来は外国に住みたい」と思っていましたが、英語だけは得意だったものの、大学にも行かずフラフラとミスドやバーテンのバイトをしていた頃に、ひょんなことから前夫と出会い、結婚して数年後にはカナダに来ていました。

本当に運が良かったのだと思います。私の前の夫はビクトリア出身でさえもないのです。彼の故郷のオンタリオに行っていたら?もし彼が極寒の小さな街出身だったりしたら?きっと15年後の私の生活は今とは大分違ったものになっていたでしょう。

カナダに来たばかりの事で、良く覚えているのは、とにかく木が大きかったこと。「でっけー!」といつも思いながら近所の木々を見上げていましたw 全然都会人じゃないんですけどね。

同性婚が認められていて、ゲイやレズビアンのカップルが全然珍しくないカナダ。離婚も同じくらい多いけれど、ミックスファミリーも普通なカナダ。アメリカの「人種のるつぼ」とは違って、お国柄をそのまま維持してカナダという移民国家を作って行く「人種のモザイク」のカナダ。ワールドカップやオリンピックのホッケーでは絶対に金メダルを目指すカナダ。アメリカ人と一緒にされるとめちゃくちゃ嫌がるカナダw。

もともとあまり日本人ぽくない私はここで本当に好きなことさせてもらっています。

ありがとう、カナダ。そしてお誕生日おめでとう!









サンタ化したイースターバニーと悪魔の発明品

ピンタレストガイド というサイトに時々記事を書かせていただいているのですが、今日また新しい記事をアップさせていただきました。

イースター(復活祭)のアイデアもPinterestから!

我が家は全くクリスチャンとは関係ない生活ですが(うちのパートナーはユダヤ人ですし)、それでも春の到来を祝う行事の象徴として、イースターは嬉しい祝日ですね。

特に、小さな子供の居る家庭ではイースターエッグに色を塗ったり、イースターバニーが持って来てくれるイースターエッグを探しにイースターエッグハントをするのがお約束なので、我が家にも、イースターを楽しみにしている3歳児がひとり。。

可笑しいのが、周りのママ友に聞いても、どこでもイースターバニーがサンタ化していること。

いい子にしてないと、イースターバニー来ないよ!」なんてね。もちろん我が家も例外ではありません。

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普段はあまり甘いものを買わない私ですが、この時期完全に中毒状態になってしまうのが

CadburyのMini Eggs。イースターエッグの形と色のパリパリとした砂糖の殻の中に、ミルクチョコレートが入っているのですが、これがやばいくらいに美味い。別名、悪魔の発明品。。

類似品は沢山出ているのですが、やはり本家のCadburyが一番美味しいです。