先日、全国日系カナダ人協会(NAJC – National Association of Japanese Canadian)の年次総会(AGM)がビクトリアで行われました。私はビクトリアの日系文化協会(VNCS)の理事会に入っていて、去年、バンクーバーで行われた年次総会に初めて参加しました。今年はこの年次総会がビクトリアで行われることになり(毎年開催都市が移動する)、ビクトリアの年次総会の計画委員会にも入っていました。
私はいわゆる「日系人」ではありません。20年近く前に佐世保からカナダに移民しましたが、国籍上は日本人、両親も日本人です。ここでいう「日系人」というのは日系カナダ人、つまり両親または祖父母、曾祖父母が日本から移民してきた人達を指します。
1877年に永野萬蔵が日本人として初めてカナダに到着し、ビジネスマンとして成功しましたが、彼のあとを追うように19世紀末から20世紀の初頭にかけて多くの日本人がカナダに移住しました。日系カナダ人の歴史はこちらの日系センターのサイトに年表が載っています。
まじめで手先が器用、よく働く日本人は労働者として重宝されていましたが、同時にカナダ人の職を奪うことにもなり、1907年にはジャパンタウンとチャイナタウンを白人至上主義者が襲う暴動もありました。
先日映画にもなった有名なバンクーバーの朝日も日系カナダ人のチームの話ですね。(こちらの記事に映画の宣伝と共に日系カナダ人に対する差別にも触れられています。)
そして第2次世界大戦時には、日系カナダ人は敵国の市民とみなされ(この時点で日系二世、三世などカナダで生まれた人がほとんどだったにもかかわらず、です)強制収容所に送られました。この強制収容はInternmentと呼ばれ、カナダだけでなくアメリカの日系人も被害を被りました。持っていた土地や財産もすべて取り上げられ、多くの人が家族と離ればなれになって粗末な小屋のような場所で寝泊まりさせられた人が大勢いました。
NAJCはこのような日系カナダ人のサポートをする団体で、1947年にNational Japanese Canadian Citizen’s Associationとして発足、その後1980年に現在のNational Association of Japanese Canadiansと名称変更しました。
戦後、NAJCは戦時中に日系カナダ人が受けた経済的、精神的苦痛の補償をカナダ政府に要求し、(これに関する一連の運動をRedress Movementと言います)1988年9月22日に当時のカナダ総理大臣ブライアン・マローニーから正式な謝罪と補償が与えられました。
日本で育った日本人で、このような強制収容やRedressのことを知っている人はあまり多くないと思います。日本の歴史の授業で学ばないですもんね。私も、実は去年バンクーバーでのNAJCのAGMに参加して初めて詳しく知った、という次第です。最近では日系カナダ人の若者も、祖父母のこういった歴史を知らない人が多いと聞きます。
さて年次総会ですが、今年はビクトリアがホスト市、ということで計画委員会では議題からディナーでの演し物など、細かいところまでプランを練りました。イベントは土日でしたが、金曜日の夜にはホスピタリティスイートといういわゆる懇親会のようなものを開くのが通例となっています。
金曜日の夜はカナダ中から訪れたNAJCのメンバー団体の代表との懇親会。バンクーバー、カルガリー、エドモントン、レジャイナ、ハミルトン、トロント、オタワ、ユーコン、マニトバなどカナダ中には14のNAJC加盟日系団体があり、そのほかモントリオールやナナイモなどのサブメンバーの団体もあります。ほぼ99%日系カナダ二世から三世で、日本人は私とごく数名でしたが、とても楽しい夜となりました。トップの写真は各団体から寄付されたプレゼント。
翌日土曜日の午前中は予算などいわゆる年次総会で必ず決めなければいけない部分を終わらせ、午後には一般の人にも公開したパネルディスカッションを企画しました。
トークの内容は、「過去をいかにして保存するか」「ボランティアをいかに集め、育成するか」「日系人、カナダ在住日本人の老後のケアについて」「ナナイモ、レジャイナ、モントリオールなどの日系コミュニティのレポート」「日系カナダ人のブリティッシュコロンビアでの歴史」「ビクトリアの日系カナダ人の歴史」など、さまざまなトピックが用意されました。
「過去を保存」のトークでは日系プレースにあるNikkei National Museumの保存家の上田リサさんが、古い写真の保存方法などを詳しく教えてくれました。「老後ケア」のトークも大変興味深く、バンクーバーやオンタリオにある日系の老人保護施設のレポートなどもとてもためになりました。ビクトリアは日本人、日系人の人口が少ないので「センター」になる建物がないのですが、都会だと日本語でケアをうけられる老人ホームなどがありうらやましいですね。
土曜日の夜はレセプションがあり、日本語学校の生徒さんによるソーラン節の踊り、民謡や歌のパフォーマンスのあと、広島の被爆者であるサーロー節子さんの基調講演がありました。サーローさんは広島で被爆したあと、カナダに移民されて今でも反原爆活動をされています。
日曜日は在バンクーバー総領事館から岡田総領事にお越しいただき、BC州の日系人の歴史についてのお話もうかがいました。当時の書類や写真なども非常に興味深く拝見しました。またJC Young Leaders (JCはJapanese Canadianの略)という青年団のカンファレンスの報告もありました。
去年のAGMでもそうでしたが、カナダ中から集まった日系カナダ人のみなさんと親交を深めることができたことはとても素晴らしいことでした。中でも印象に残ったのが日系カナダ人の青年グループのみなさんです。両親や祖父母のカナダ到着時の話、抑留時代の話などを記録しようと様々なプロジェクトを計画している人、また各都市で若い日系カナダ人で集まって様々な活動をしている報告を聞いて若い世代のパワーを感じました。
ある日系人の青年と話をした際に、今回のAGMの感想を聞いたところ「とてもよかったけど、正直Internmentの話はあんまりピンとこないんだよね。僕の母は日本から普通に戦後に移民してきた世代だし。。。」と言っていました。私も、彼のお母様と同じ世代で、戦後、強制収容などすでに過去のことになってから移民した日本人です。ですが私の子供達は正真正銘の「日系カナダ人」になります。
私も沢山カナダに移民した日本人の友人がいますが、私たちの世代の多くの人にとって関心のあることは「いかに子供に日本語を引き継いでいくか」「カナダ市民になるか、ならないか」また政治や離婚などの家庭問題、親の介護の問題など、一般の30代、40代がよく対面する問題がほとんどです。
そういった移民の日本人(英語ではShin Ijusha新移住者と言います)の関心事をサポートし対応する国レベルの団体が必要なのだろうか?ということも、この若い日系人の彼と話したことの一つでした。
現在の時点で、私個人の意見はノーです。現在のところ、各都市レベルでそのようなサポートを受けられる団体が存在しますし(ビクトリアですと日本友の会、日本語学校、そして小さいお子さんむけのプレイグループなど)まだ国単位での団体の必要性を感じません。
また、私のような日本人が日系カナダ人の団体のAGMに参加する意義があるのか?という問いには、大きなイエスで答えたいと思います。
今、カナダで移民としてがんばっている日本人の人達に、強制収容の話をしても、半分くらいの人は「自分がカナダに来る前に起こったことなので関係ない」というかもしれません。
また、「自分は日本人で、日系人じゃないからそんな団体には関係がない」という考えの方もいるかもしれません。
でも、私たち移民の子供の殆どが、日系カナダ人になるんですよね。
国籍がカナダであれ、日本であれ、ルーツが日本ということで、お互いの現在の目の前の課題にこそ差があれど、お互い協力していくべきだと思います。
去年バンクーバーでのAGMに参加した際も、自分が日系人でないことに関して少し不思議な気がしたのですが、強制収容やその後のRedress Moveentの歴史は、国籍を問わず忘れてはならないものだと思います。
このAGMを通して何人もの素晴らしい日系カナダ人のみなさんと出会えたことに感謝します。これからもみんなで協力しあい、友情を深めていけたらと思っています。
ビクトリアでの日系青年グループに興味のあるかたはひとことメール下さい。