ブレネー・ブラウンの本、そして彼女の活動はすべてVulnerabiity(ヴァルネラビリティ)がテーマです。
ヴァルネラビリティは、これまで日本語ではコンピュータや情報セキュリティの世界で「脆弱性」といった意味で使われていました。
脆弱性とは、コンピュータやネットワークのセキュリティが第三者によるシステムへの侵入や乗っ取りといった不正行為が行われる危険のあるシステムの欠陥や問題点のことで、「攻撃されやすいこと」という意味です。
これを、私達人間の心という文脈で見ていくと、ヴァルネラビリティはどう訳されるでしょうか。直訳すると「脆さ、弱み」となると思います。それではヴァルネラビリティとは、弱さのこと?
ブレネーの二冊目の本、Daring Greatly (日本語版は「本当の勇気は「弱さ」を認めること」−サンマーク出版)では、ブレネーはヴァルネラビリティを以下のように定義づけています。
「不確実性、リスク、生身をさらすこと」
もう少し詳しく説明しましょう。(Daring Greatlyから意訳しています。)
たとえば、愛。自分を愛してくれるという確証もなく、その安全も保証できない誰かを愛すること。死ぬまで誠実でいてくれるのか、または明日突然自分を裏切るかもわからない人を愛することーそれはまさにヴァルネラビリティです。愛というのは不確かで、恐ろしく危険なものです。自分がいつ傷つくかも全くわかりません。でも、愛のない人生なんて考えられないですよね。
受け入れてもらえるか、感謝してもらえるかもわからないままに自分の創ったアート、書いたもの、撮った写真、アイデアを世間に公表することーこれもヴァルネラビリティです。
一瞬のことだとわかっていても喜びに浸ること、それこそヴァルネラビリティのひとつのかたちです。
こうして見ていくと、ヴァルネラビリティは本当に「弱さ」といえるでしょうか。
上の例を見ていくと、ヴァルネラビリティは「感じること」とも言えるかも知れません。哀しみや、心の傷、しいては大きな愛や喜びもヴァルネラビリティと言えると思いませんか。それでは、感情をしっかり感じることは、「弱さ」なのでしょうか?
ブレネーは、ヴァルネラビリティを弱さだと決めつけてしまうのは、私達が感情をしっかり感じることを、失敗である、そしてマイナス要因であると勘違いしているからだと言います。
ここで、ブレネーが「あなたにとってヴァルネラビリティとはなんですか?」と聞いた際の答えを紹介します。
—助けを求めること
—ノーということ
—自分のビジネスを立ち上げること
—パートナーをセックスに誘う時
—ガンにおかされた妻と遺言状の準備をすること
—子供を亡くした友人に電話をすること
—離婚後初めてのデート
—仕事をクビになること
—恋に落ちること
—彼氏を初めて親に紹介する時
—怖がっていると認めること
—人のうわさ話をしている人を止めること
—許しを乞うとき
—新しいことを始める時
−3回の流産の後、また妊娠すること
—公共の場でエクササイズする時
ー自分の商品を世間にむけて発表して、何も反応がない時
ーCEOに来月の社員の給料が払えないと告げる時
ー息子がオーケストラに選ばれたがっているのに、恐らく落ちるだろうとわかっている時
ー信仰すること
ー責任をもつこと
上の例を読んでみて、これらが「弱さ」だと思いますか?辛い思いをしている人を慰めようとすることが弱さでしょうか?責任をもつことが弱いことだと思いますか?
答えはノーです。
ヴァルネラビリティには真実の響きがあり、勇気を感じさせます。
ヴァルネラビリティを経験しているとき、私達は先が一体どうなるかわからずに不安で、傷つく可能性があるということです。でもこのようなリスクを冒してでも自分達の心を開いて真の自分をさらすとき、唯一確実なのは、それは弱さではないということ。
この、ヴァルネラビリティ=「弱さ」ではないということが、ブレネーが説く「ヴァルネラビリティに関する誤解」の一つです。それでは次回は、二つめの誤解についてお話したいと思います。