世間の人達はベストを尽くしているのか?

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今年はClubhouseにて、ブレネーの教えについてお話する機会がたくさんありました。これから少しずつそれらをブログにもまとめていきたいと思っています。

これまでに、「価値感について」「恥について」「信頼について」「ヴァルネラビリティについて」書いています。

今日は、以前ちらっと書いたことがありますが、Rising Strong(邦題:立て直す力)にでてくる、「他人にとって最も寛容な推測をすること」について詳しく書いてみたいと思います。

ブレネーの本はどれも好きですが、Rising Strongが最も実践的なアドバイスが多く、目から鱗だった学びが多かった本だと思っています。

この本の中での大きな学びの1つ「The story I am making up is…」についてはこちらに書いています。


一般的に言って、あなたは世間の人達はベストを尽くしていると思いますか?

ブレネーは、あるイベントで講演をした際、バウンダリーを使ってNOと言わなかったがために、滞在するホテルの部屋をもうひとりの講演者とシェアすることになってしまいました。英語にHigh Maintenanceという言葉があります。「維持費が高くつく」という意味から、=手がかかる、もしくは面倒くさい物や人を指す言葉です。ブレネーは、ハイメンテナンスな人と思われたくないがために、「部屋をシェアしたくない、自分だけの部屋が欲しい」と言い出せず、知らない人と部屋をシェアすることになりました。

ホテルにつくとすでにルームメイトは到着していて、シナモンロールを食べてアイシングでベタベタになった指をソファで拭いたり、禁煙室なのにベランダで煙草を吸ったりするとんでもない人で、ブレネーはショックを受けます。講演が終わると、ブレネーはすぐに空港に向けて出発しました。

帰宅する途中もモヤモヤしていたブレネーは、セラピストのダイアナに予約を入れます。

ブレネーはダイアナに会いに行き、ホテルでのルームメイトのことについて愚痴をこぼします。それを聞いたダイアナはブレネーにこう言います。

「あなたは、そのルームメイトが彼女なりののベストを尽くしていたと思いますか?」

ブレネーはびっくりして、NOと答えます。「彼女はベストを尽くしていたとは思いません。あなたはそう思うんですか?」とダイアナに聞きます。

ダイアナは「そうですね。。。わからないけど、私は一般的に言って世間の人達は彼らなりのベストを尽くしていると思うんです。どう思いますか?」と再度ブレネーに問いを投げかけます。

ブレネーは、信じられない気持ちでダイアナに「あなたは、本当に心から、世間の人達はみんなベストを尽くしていると思っているんですか?」と聞きます。

ダイアナは「そうですね。私はみんな、持っているツールを使って、その人なりのベストを尽くしていると思います。もちろん、みんな学んで向上する余地はあると思いますが、ほとんどの人達はベストを尽くしていると思うんです」と言います。

ブレネーは、頭がクラクラしてきて、今までこの人とやってきたセラピーはなんだったのだろうかとか、なんでこんなことにお金を払っているのかなどと考えながらダイアナのオフィスを後にします。

そしてこの後数週間にわたって、ブレネーは、40人以上の人に「世間の人達はベストを尽くしていると思いますか?」という問いかけをしていきます。

3週間に渡ってこのミニ研究をしてみたところ、明らかなパターンが出てきました。

「一般的に言って、人はみんなベストを尽くしていると思いますか?」

という質問に、イエスと答えた人達は、みんな、確証がないような言い方をしたのだそうです。「そうだね。。。はっきりとは言えないけど。。。多分そうなんじゃないかな」というように。

「こういうと変に思われるかもしれないけど、そうだと思う。。。」などと言うように。このグループの人達は、人は常に成長する余地はあるとしながらも、人類のことを諦めることができなかったかのように、ほとんど謝るように、人はベストを尽くしているのではないかと答えたのだそうです。

対照的に、人はベストを尽くしていない、と答えた人達は、ほぼ全員、ノーと断言したのだそうです。「よくわからないけど、たぶんそうじゃないと思う」といった答え方をした人は一人もおらず、全員が「全くそんなことはない!No Way!」と断言する人ばかりだったのだそうです。人はベストを尽くしていない、と答えた人達の8割が、その理由として「自分もベストを尽くしていないから」、というのを挙げました。「私はベストを尽くしてないのに、どうして他人がそうと言い切れるの?」とか、「私もいつも怠けているから」とか「私は110%でやるべき時にそうしてないから」など、自分の努力について偏見を持っているからこそ、他人の姿勢にもジャッジしていた人が多かったそうです。

もう一つ浮かび上がってきたパターンが、NOと答えた人の殆どが、完璧主義に悩まされている人達だったのだそうです。このグループの人達は、自分にも厳しいと同時に他人にも厳しく、だから世間の人達はベストを尽くしていないと言い切れるのだそう。

そして、この質問にイエスと答えた人達は、ほとんどがブレネーが”Wholeheartedと呼ぶ人達でした。私は、Wholeheartedを「心からの生き方」と訳しています。心からの生き方ができている人達がどういう人達かというと、ヴァルネラビリティを受け入れ、自分には価値があると信じている人達のことです。これらの人達も自分が失敗した経験をシェアしてくれましたが、彼ら・彼女らはそういった時のことを振り返って「それでも自分はベストを尽くしていたから」他人に対してもそう思えるようなのです。

ブレネーは、このミニ研究が終わりかけの頃、ある友人と食事にでかけます。比較的新しい友人でしたが、とても気の合う人だったので、早速、例の質問を彼女にも投げかけてみました。するとその友人は「Oh, Hell no!」と答えました。

ブレネーはつい嬉しくなって「でしょう!私も同感」と答えます。すると友人は、

「例えば母乳育児。私いま母乳で育ててるじゃない。すごく大変なんだけど、母乳で育てられないとか自分の体を大事にしたいとか言ってる人達って何?最低でも1年母乳で育てられないんだったら、子どもなんて持つべきじゃないと思う。それって、ベストを尽くしてると言えないじゃない。子どもが可哀想」と答えました。

これを聞いてブレネーははっとしました。

ブレネーには二人の子どもがいますが、妊娠悪阻がひどくどちらも母乳は1年にも満たず止めてしまったそうです。一生懸命母乳で育てようと思ったけどどうしてもできず、諦めざるを得なかったとか。それでも彼女は自分の子ども達をこの友人が彼女の子どもを愛しているのと同じくらい愛していると言います。

この友人の言葉を聞いてブレネーは「あなたは私のことを何も知らない」と自分の状況を説明したくなる衝動にかられたと言います。ブレネーは、彼女なりのベストを尽くしていたのです。

ブレネーが帰宅すると、夫のスティーブさんはキッチンにいました。ブレネーは、例の質問を彼には聞いていなかったことに気づき、さっそく質問を投げかけました。

小児科医のスティーブは仕事で人間の良いところも悪いところも見てきたと言います。彼は10分ほどじっくりと考えたあとで「わからない。ほんとうに分からないけど、みんながベストを尽くしていると推測するほうが僕の人生は良いものになる気がする。他人をジャッジせずに『こうあるべき』『こうあるべきかもしれない』ではなく、『今こうである』ことに集中することができるから」と答えました。

誰かがベストを尽くしていないと、その人の状況を知らずに簡単に言い切ってしまうことが、誰にできるのでしょうか?

その後ブレネーはダイアナとのセッションで、「人は常にベストを尽くしている」と泣きながら伝えます。

ブレネーは、自分用の部屋が必要だときちんと言うべきだった。そうすればルームメイトや他の人をジャッジせずに済んだのだ、と学びを話します。

すると、ダイアナはこう答えるのです。

You were doing the best you could.」

私はこの章が大好きで、何度読んでも心打たれます。

この後、バウンダリーの大切さや、思いやりのある人は 自分が必要なものを求めることができる、など他にも大事なポイントが沢山でてきますので、気になる方はぜひ本を読んでみて下さい。

私も、昔はとてもジャッジメンタルな人間でした。自己を向上させることに興味があったので、周りの人が何もしていないと、怠けていると勝手に決めつけていたし、社会のほとんどの人は全然ダメだと思っていました。

いま振り返ると、それは私の自分自身へのジャッジメントが反映されていたのだと分かります。完璧主義で、「私はこれでいい/ I am enough」と思えず、常に上を上を目指していた昔の私は、他人に対してとても不寛容でした。

ブレネーの本に出会って、ヴァルネラビリティやI am enoughということを学び、そしてこの本Rising Strongを読んで、人はみなベストを尽くしているんだということを学んでから、私の人生は大きく変わりました。

人がベストを尽くしていると思うと、他人に寛容になれます。

これはまた、想像力を働かせることでもあると思います。

まず、トラブルが起こっても、あまり怒らなくなりました。車を運転しているときに誰かが横入りしてきても「家族が病院にいて、急いでいるのかも知れない」とか「職場で上司に怒られて、イライラしているのかも知れない」などと思うようにすると、不思議と他人に対しての怒りが収まっていくのです。

もちろん私だって不完全な人間ですから、こういった教えを忘れて怒り狂うことだってあります。でも、そんな私だって、毎日ベストを尽くしていると思えば、自分に対してのジャッジメントも減っていきます。すべての人・物に寛容になれるのです。

先日、我が家でこんなことが起こりました。

キッチンのシンクの下が水漏れしていたので、大家さんに連絡して、プラマー(配管工)を呼んでもらいました。この配管工のBさんはうちの大家さんから頼まれて、我が家(うち以外にも3軒のユニットが入っている建物)全体の配管を担当している人です。

夫は、コロナ禍に外部の他人を家に招くことをとても心配していました。Bさんが来ると言った日は、寒いのに窓を全開にして換気を充分にして待っていましたが、彼は来ませんでした。

配管工や配達の人が時間通りに来ないのは、カナダでは(アメリカや他の国でもそうかもしれません)よくあることです。仕方なく夫がBさんに電話すると、すっかり忘れていたような感じで、その日はもう夜だったので、別の日に来て貰う約束をしました。もちろんその間キッチンの水漏れは続いているので、タオルを敷いてバケツを置いたりしてしのぎました。

2回目のBさんの約束の日。またしても彼は約束の時間から30分過ぎても現れません。夫が電話すると、またもや、今起きたばかりの様子。私達も予定があったので、また別の日で予約を入れました。

キッチンの水漏れが続くのに修理の人がなかなか来れないので夫のイライラもMAXに達してきました。夫は「彼はたぶん何かの依存症なんだと思う。いつも酔っ払ってるみたいな話し方だし」と言います。

3度目の正直でBさんが来た時、またも我が家は窓全開で寒かったです(私は自分のオフィスに避難していました)。ようやくBさんが帰って行ったあと、夫に話を聞くと、ものすごく怒っています。どうやら、Bさんはマスクをしていたものの、すぐにマスクをずり下げているので、夫が「ちゃんとマスクをしてください」と注意しなければいけなかったそうです。そして挙げ句の果てには、Bさんはワクチンを打っていないと言うのです。そして、さらにひどいことに、Bさんはシンクの下の部分を修理せず、シンクの上の部分であるFaucet(水道の蛇口)を、私達が今まで使っていたものより質の悪い、一番安そうななものに取り替えただけで去って行ったと言うのです。

去年病気をして入院した夫は、ワクチンを2回打っていますが、人一倍コロナに敏感になっています。マスクをきちんとしない、しかもワクチンを打っていない外部の人が家に来たことと、修理されるべきものがきちんと修理されなかったことで、夫は殆ど取り乱すように怒っていました。

私は、夫の話をひととおり聞いたあとで、「それは酷いね。大家さんに連絡して、Bさんに戻って来てもらうか、別の配管工を雇おう」と言いました。そしてふと思い立って、「彼はあれでもベストを尽くしてるんだと思うよ」と言ってみました。

すると、今まで怒りに震えていた夫が、はっとしたように、肩の力を抜いて言いました。

「You are right. だから僕はきっと彼にもっと寛容になるべきなんだね?」

夫には良いところも沢山あり、良いパートナーですが、人のことをやたらと決めつける癖があります。(念のため書きますが、私にも欠点は沢山あります。)なので彼は「Bさんはきっと酔っ払っていて仕事を真面目にしなかった」というナラティブ(ストーリー)を信じかけていたところがあります。どこも問題のなかった蛇口を取りはずして、一番安そうな蛇口に取り替えて行ったことに関しても、夫は「彼はあの蛇口を自分用に持って帰ったに違いない」と言います。

そしてそれは本当かもしれません。Bさんは本当にだらしのない人なのかも知れないし、アルコール依存症なのかもしれないし、うちの蛇口を安いものに取り替えて、うちの蛇口を売ろうとしていたのかも知れません。本当のところは私達にはわかりません。でも、Bさんに対して寛容な推測をすることで、ブレネーの夫のスティーブさんが言ったように、私達の人生が少しだけ楽になる気がするのです

この会話をしたあと、夫は少し落ち着き、大家さんに連絡を取り、事情を説明しました。

結局、Bさんは数日後に戻ってきて、きちんと水漏れを直し、蛇口も以前使っていたタイプに似ている新品に交換して、帰って行きました。


ブレネーは、「人はみなベストを尽くしている」という話をすると、必ず「じゃあ殺人鬼やテロリストはどうなんですか?!」と聞かれるのだそうです。殺人や虐待をする人達は、ベストを尽くしているのか?

答えはイエスです。

でも、彼ら・彼女らのベストは充分ではない。だからそういった人達はしかるべき法律で罰せられてどこかに収監されなくてはいけません。誰かがベストを尽くしている、=その人を甘やかしたり、その人の行動を罰しないということではないのです。

ここにも、バウンダリーが深く関係してきますね。バウンダリーとは「何がOKで何がOKじゃないのか」をはっきりさせること。殺人鬼やテロリストは彼らなりのベストを尽くしているかもしれませんが、彼らがやったことはOKではないので、罰せられなければいけないのです。

Bさんは彼なりのベストを尽くしていたかも知れないけど、彼の仕事は充分ではありませんでした。なので彼は戻ってきて仕事をきちんとやり遂げるか、もしくは別の人を雇わなければいけない、と私も夫に言いました。

バウンダリーをきちんをしているけど、誰かに寛容な推測をするということは、その人に対してジャッジメンタルにならないことを意味します。そしてそれはその代わりにその人に思いやりの心を見せることを意味します。

一般的に言って、社会の人達はベストを尽くしていると推測すること、そしてその上でバウンダリーをきちんとひくこと。そうすることによって、モヤモヤも減りますし、生きることが楽になります。

今回、夫と「He’s doing the best he can」という考えをシェアできたことは我が家にも、そして私達の関係にもポジティブな変化をもらたしました。みなさんも、他人に対してイライラすることがあったら「彼は・彼女は・ゼイはベストを尽くしているんだ」と一瞬立ち止まって考えてみてください。

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