進むべき道 – Day 80

昨日書いたことに似ている考え方として、「進むべき道に向かっているなら、何事もスムーズにいくものだ」というものがある。

昔知り合いの女性で、遠距離恋愛をしていた人がいたが、トラブル続きだった。そしてそのトラブルの殆どが、外的要因によるものだった。たとえば2人で旅行に行こうとすると彼のパスポートが見つからないとか、彼が彼女に会いに来ようとすると入国審査で引っかかったりなど。結局その人とは彼女は別れてしまったのだが、その後彼女は別の男性と知りあった。その人とは全くなんの問題もなくトントン拍子に話が進み、婚約し、今では結婚して子供もいる。彼女が婚約したころに「前の彼とは全てが大変だったので、ふつうの交際がどんなものなのか忘れてたけど、今の彼とは全てが簡単。」と言っていたことをよく覚えている。

これは私も信じる。自分が進むべき道に居るとき/一緒になるべき人といるときは、何事もスムーズに進むものだ。

プロジェクトや何かをやっているとき、あまりにも問題が多い場合は「こっちに進むべきではない」というメッセージなのだと受け取ることが多い。

この数年私も「こっちに行くな」というメッセージが多かったので、今軌道修正中だ。まだ、今の道が正しい道なのかどうかははっきりしない。必ずしも「スムーズ」な道ではないからだ。でも明らかな「NO」のメッセージが出てくるまでは、しばらく進んでみようと思っている。

宇宙のたくらみ – Day 79

「いちど心を決めると、宇宙がそれを実現しようと助けてくれる」

という言葉がある。

あなたはそれを信じますか?

私にはわからない。

実際に自分に起こったことがないから。

でもさっき、学んでみたいトピックのオンラインコースが$49から$15に割引になっていたので即買いした。

そしてこの言葉を思い出したんだけど。

これを起こるべくして起こった偶然とみるか、単なる優れたマーケティングとみるか。

私は正直どっちでも良い。私は普段オンラインコースをすぐに買ったりするタイプではないので(いつもは無料の大学講座を取っている)、買いたいものが目の前に現れたのには、ちょっと驚いたけど。

時が経てばわかる。

Workin’ Moms – Day 78

今私達がハマっているTV番組は“Workin’ Moms”というNetflixのドラマだ。タイトルの通り、4人の小さな子供を抱えるワーママをめぐるコメディドラマ。テレビを普段観ない私は全然知らなかったのだが、もとはカナダのCBCが制作した番組で、このたびNetflixにやってきたというわけ。オンラインで友達が見ている番組としてよくこの番組の名前を聞くようになったので、オットと一緒に観てみたら、かなり面白くてハマってしまった。

カナダで制作される番組ははっきり言ってアメリカの大予算ものに比べるとショボいことが多いのだが、これは女優さん達も演技上手いし(特にアン役のDani)、4人の全く違うタイプのワーママキャラを出してきているところなど、SATCを意識してるなーと思わずにいられないけど、その割にストーリーも面白くて、まだシーズン1だけどこれからもっと面白くなりそう。

番組はそのままでも充分面白いのだが、私にとって何が楽しみかというと、番組に登場する赤ちゃんたちだ。各エピソードは4人のママたちが、「マミー&ミー」みたいな、赤ちゃんサークルのようなセッティングで様々な—授乳のことや、セックスのことなど—を話すシーンから始まるのだが、その周りで赤ちゃんたちが座ったり遊んだりコロコロしていたりして超和む。

私は長男が21歳、次男が10歳なので、完全に、赤ちゃんがいるとすぐにだっこしたがる怪しいおばちゃん化している。初対面の人でも赤ちゃんがいるとすぐにベビーシッターしますよ、などと言ってしまう。そしてほぼ毎回マジ。自分はもう子供はいらないけど、赤ちゃんってなんであんなに癒やされるのだろうか。なのでテレビを観ていて可愛い赤ちゃんがでてくると、「Baby!」と叫ぶのが癖になってしまっている。

私は今でも映画・TV業界に入ろうかどうか悩んでいるのだけど、なぜこの業界に興味があるかというと、私は昔から舞台裏というものにすごく興味があるからだ。テレビや映画を観ていて、すごいシーンになると「これっていったいどうやって撮影したんだろう??」ということがものすごく気になるタイプなのだ。

なので毎回赤ちゃんが出てくるシーンになると、「撮影大変だっただろうなあ」と制作クルーの人達のことを考えずにはいられない。英語では「子供と動物とは仕事するな」とこの業界では言われる。不測の事態が起きて撮影に支障をきたしたり時間がかかったりするから。赤ちゃん1人セットにいるだけで大変だと思うけど、こんなに何人も赤ちゃんいたらさぞかし大変だろうなと思う。撮影の時間になったらお昼寝しちゃったりしてね。(話は逸れるけどブラッドレー・クーパー主演の「アメリカン・スナイパー」で明らかに人形の赤ちゃんを使っているのは、ちゃっちゃと撮影することで有名なクリント・イーストウッド監督が、人間の赤ちゃんがセットで準備できていなかったため、待ちきれずに人形を使ったという話を聞いたことがある。観てみると、バレバレで可笑しいw)

それよりもっと気になるのが、赤ちゃんが号泣しているシーン。いったいどうやって撮影してるんだろう?わざとお腹をすかせる?つねったりするのかな?(まさかね)それとも、本当のママがスタジオを去るところを見せちゃうとか?動物と同じで、もちろん赤ちゃんに実際に危害を加えているわけはないと思うけど、それじゃあ一体どうやってるんだろう?もし業界の方で真相を知っている人がいたらぜひ教えて欲しい。

【1000冊紹介する018] Tomboy Survival Guide – Day 77

Ivan Coyote(アイヴァン・カヨーテ)はカナダのストーリーテラー、スポークンワードアーティストそしてライター。ユーコン準州で生まれ育ったトランスジェンダーだが、カナダ特にBC州では人気がある。

私は2年前にビクトリアでTomboy Survival Guideのショウをみて以来アイヴァンの大ファンだ。今年もつい最近、アイヴァンと、パートナーのサラ・マクドゥーガルが二人でやるTrader Timeというショウも観たばかりで、それもとても良かった。この、本バージョンのTomboy Survival Guideはその時に購入してサインしてもらったもの。

本当に感動した本の書評を書くのは苦手だ。ボキャブラリーはほとんど「良かった」「素晴らしかった」「感動した」で終わってしまうから。この本も同じで、どのストーリーも素晴らしかった。

アイヴァンのショウを観たことがある人なら、アイヴァンがどのくらい才能あるストーリーテラーか、ご存じと思うが、この本も例外なく、素敵なストーリーに満ちている。

ユーコン準州で育った子供時代の話、きょうだいやいとことトラブルに巻き込まれた話、家族の話から、男ばかりの電気工学校時代の話、バンクーバーで映画のセットで働いていた時の話、トランスジェンダーとしての辛さや悩み、クイアとして悩む人へ充てた手紙、などなど、どれも、涙が出るほど笑えるか、感動するか、またはぶつけようの無い怒りでいっぱいになったりする。

そして、ストレートでトイレや更衣室を毎回なんの問題もなく使えてきた私にとって、トランスジェンダーのトイレ問題は(このことに関してはポッドキャストでも以前話しているが)本当に深刻だと実感させられたし、これからジェンダー問題と共に積極的にサポートしていこうと思った。

アイヴァンの文章はユーモアと愛に満ちていて、いつもやさしい。そして、はっと感心させられるような表現に溢れている。

アイリッシュカソリックの家族に育てられたアイヴァンだが、敬虔なカソリックだったおばあちゃんの「神様は間違いをおかしたりはしないんだよ。あんたは神様の思し召し通りの人間ってことを忘れちゃいけない」という言葉が胸に響いた。

アイヴァン・カヨーテはカナダの国宝だと思う。

3月は – Day 76

今月はかなりいっぱいいっぱいの感が。仕事やら締め切りやらイベントやらがありすぎて、追いついていけてない。いろいろなことが起こっているわりには、進歩はしていない。先月よりは天気はすこし良くなって、外出したり人に会ったりしているのだけど、(写真は今日行ったユダヤコミュニティセンターでのランチ)何となく全てがノイズのような気がする。他の人達が作りだしているノイズ。

もしかしたらただ単に進歩が遅いことに関してイライラしているだけなのかもしれない。もしくは、自分ばかりが全てやっているような気がしているのかもしれない。よくわからない。

3月はそわそわする人が多いのだと誰かが言っていたので、私だけじゃないのかもしれない。

そういうときは、可哀相〜、大丈夫?ではなくて、辛いね、と言ってくれる人を友達と呼びたいし、自分もそういう人でありたいなと思う。

(詳しくはシンパシーとエンパシーの違いを参照)

どちらにしても、自分にできることはやるべきことをやっていくのみ、だけど。

8年 – Day 75

あの日から8年。

8年前のあの日、私は高校生だった長男のミュージカルを観るため、ダウンタウンに居た。ミュージカルが終わってスマホをチェックすると、沢山の人達から「あなたの家族は大丈夫?」というメッセージやツイートが並んでいた。地震?どこで?

実家は佐世保なので、我が家はまったく被害にあわなかったのだけど、TVやネットでみる惨状に、心の芯まで揺さぶられた。多くの人がそう感じたのではと思う。

地元のTV局に呼ばれて地震の話をし、生テレビで泣いたことを覚えている。いろんな人から連絡があり

日本のためのファンドレザーHope Love Japanを企画したことも覚えている。同じ年の5月に日本に帰国したが、節電のためどこも暗かったことを覚えている。東京のホテルで軽い地震を経験したことも。

東北出身に人でなくても、知り合いが誰も被災していなくても、あの災害は私達を永遠に変えたと私は思っている。

翌年の2012年に助けあいジャパンさんのはからいで、東北に行く機会があった。震災から1年程度なので、被害の爪痕はまだまだ新しかった。陸に乗り上げた第18共徳丸や、南三陸では防災庁の建物にも立ち寄った。大川小学校でも手をあわせてきた。どれも、今でも忘れられない悲しい場所だ。

8年後の今、避難状況にいる人々は5万4千人、うちプレハブの仮設住宅に住んでいる人達はまだ5千人ほどいるとのこと。

復興には、明確な終わりというものは無いのかもしれない。どちらにしろ、まだまだ忘れるわけにはいかない。近いうちに、またぜひ東北へ行って、今の東北の様子をカナダと世界に届けたいと思う。

どちらでも正しい – Day 74

今日はとても疲れているので短く。

私は、常に頭で考えていることが現実になると考えるタイプの人間だ。そして今日は、それを裏付けるようなことがあった。

ずっと頭のなかで繰り返し考えていたことが、現実になった。

ずっと考えていたというだけで、毎日必死に祈ったりしていたわけではない。でも、なんとなく、これは現実になるだろうなという予感はあった。

できると思っても、できないと思っても、私達は正しい。

Whether you think you can, or you can’t–you’re right.

という言葉がある。だったら、上手くいくと常に考えていたほうが良いのだ、というリマインダを授かった気がした日だった。









電池 – Day 73

私はかなり古いMacbook Proを使っている。トラックパッドがついているがまず使わない。私はマウスを使っている—マジックマウスだ。マウスを使うのは古いのだろうが、昔からの癖というのはなかなか抜けないものだ。

マジックマウスの電池はあまり長持ちせず、せいぜい1ヶ月というところだ。数日前、マウスの電池が切れた。キッチンのいつも電池を入れている引き出しを見てみたが、入っていない。どうやら切らしているようだ。

仕方なくトラックパッドを使ってみたが、Macbook自体かなり古いので、トラックパッドも遅いし、慣れてないので使いにくい。何をするにも普段の二倍くらい時間がかかり、かなりイライラした。

電池が切れたのは夜だったので、その日は取りあえずパソコンを触るのは最小限にして、翌日朝一番で電池を買わねば、と考えた。幸い、急ぎの仕事などはなかったのでパソコンには触らずに済んだ。

翌朝、メールをチェックしたりするのにパソコンを使ったが、とにかくマウスが使えないので気持ち悪い。早く息子を学校に連れて行きたい、その後電池を買いに行けるから、とそわそわする。それだけ必死になっていた。

息子を学校へ連れていったあと、電池を買いに行き、帰宅して新しい電池をマウスに入れた。そしてすぐに、それまでのイライラを一瞬で忘れて、何事もなかったかのようにMacbook Proを使い出した。

電池が切れただけでこんなにイライラするとは自分でもちょっと驚いた。しかし新しい電池を買ってくるや否や、そのことは一瞬で忘れてしまった。喉元過ぎれば熱さ忘れるとはまさにこのこと。何かモヤモヤする。

電池が切れたあと、慣れないトラックパッドを使ってみようと言う気にはまずならなかった。使いにくいから、そのままあきらめてしまった。私はquick & easyを求めていた。

振り返ってみると、その自分の態度に危機感を感じる。たかがマウスの電池くらい、すぐに新しいものを買ってきて入れ替えて仕事にもどれば良いのだということはわかるのだけど、(その方が生産性もアップするしね!)今回のことは私にとって良いリマインダになった。

いかに電池が切れたことにイライラしたか、そして電池を入れ替えた途端に一瞬でそれをすべて忘れたか。もう少し、不便さに寄り添ってもいいんじゃないかという気がする。いつも使っているものが無くても、イライラそわそわしない自分でいたい。便利さに甘えずにいたい。









国際女性デー – Day 72

ビクトリア市役所で行われた国際女性デーのイベントに行ってきた。どういうイベントなのかもよくわからなかったので、ちょっとのぞいてみようという程度だったのだが、なんだかんだ言って最後まで参加してきた。息子を父親の家にドロップオフしたあと、オットと一緒に参加したけど、数人男性も居て、彼らのサポートが嬉しかった。小さな女の子を連れてきている夫婦もいた。

いくつかブースがでていて、子供のためのアクティビティや、ハギレを使った織物プロジェクトなどの他、セックスワーカーをサポートする団体(無料でランチを提供しているが、多くの場合それがセックスワーカーの女性が取る1日の唯一の食事だったりする)、また友人が設立した、避妊ピルをBC州で無料にしようと政府に働きかけているキャンペーン AccessBCなどがあった。このキャンペーンでは地元の政治家にメールでうったえるキャンペーンをやっているので”Email your MLA now”というボタンをクリックすればフォームで送信できる。

その他にもフィリピン団体の女性たちのダンス、ビクトリアの青年桂冠詩人による詩の朗読、先住民の女性アクティビストによるスピーチなどがあり、とても勉強になった。

嬉しかったのは、日本人の友達が来てくれたこと。それも一人で。こちらの人は結構ドタキャンしたり、不安症があって人の集まる場所に行くのが苦手という人も多いのだけど、母親業をしている世代はみんな忙しいのに時間を取って一人ででてきてくれた。彼女もこれから「#黙らない女」としてこういった活動に積極的に参加したいと言ってくれたことが嬉しかった。

いつも思うことだけど、女性が集まると、新しい友達ができ、問題が解決され、お互い癒やし合うことができる。

私の今年の3つの言葉はListen, Ask, Doだが、この日集まっていた女性たちはみなただ話すだけでなく、実行するDoerだった。こういったDoerの女性たちに感謝したい。

最期について – Day 71

今週は訃報をいくつか聞いた。もちろん、毎日どこかで誰がが亡くなっていくわけだが、今週いつもにまして色々と考えさせられたのは、オンラインでフォローしている死の研究者の方の家族が亡くなったという話を読んだからだろう。その人が「いつも死について考えているけど、だからといって誰かを失うことが楽にわるわけではない」と書かれていて、確かにそうだよな、と思った。

私は怖いとか暗いとか言われるかもしれないのであまり公言はしないのだけど、死についてよく考えるし、葬儀業界などにも興味がある。父を7年前に亡くしたが、幸い母はまだ元気なので、ここ最近は親しい人を亡くす辛さを感じずに済んでいる。でも、それは一時的なものだということはわかっている。いつか—それは明日かもしれないし、数年後かもしれない—またやってくる。愛する人が多ければ多いほど、その人を亡くす辛さもその裏返しとしてあるわけだ。

今日は、若くして亡くなった親をもつ子供達の意見を元に、子供達に残したいメッセージを録音できるアプリを作った女性の記事を読んだ。確かに良いアイデア。私も使ってみようかなと思っている。

最後の日がいつなのか誰にもわからないから、1日1日をめいっぱい生きようと思うし、出会う人達それぞれとの時間を大切にしないとな、と思う。