あと10日 – Day 90

今日でこの100日プロジェクトも90日目。プロジェクト終了まであと10日。

正直に言って、ここまでくるのはかなりしんどかった。ただでさえ毎日書き続けるのは辛いのに、何故か日本語と英語両方で書くことに決めたから。英語バージョンはこちら

始める時に、辛い道のりだということは分かっていたけど、何故か、英語または日本語だけでやるのは違う、と感じたのだ。

日本語の方が母国語なので、もちろん英語よりも強いのだが、英語もまた私にとっては重要な言語で、英語でないと言えないこと、伝わらないことというのがある。

英語で書くか、日本語で書くかということは、かなり長いこと私の中での葛藤だった。私が不勉強なだけだと思うが、二つの言語で執筆する作家という人を殆ど存じ上げない。パウロ・コエーリョくらいか?時々、書くことに関して真剣なら、どちらからひとつの言語にフォーカスした方が良いのか?と悩む。

私がブログを書く時は、アイデアや意見や感じたことをシェアしたいから書いている。そして私には英語を話す友達と日本語を話す友達が半々いるので、どちらかのグループを選ぶことなんてできないのだ。

かくして、日々の苦痛が始まった。でもそれもあと10日。

もちろんその後も書き続ける。毎日ではないけどね。

変化 – Day 89

私は普段はそこまで迷信深くはないけれど、時々、「流れ」というか「気」というか「波」というかそういったものが変わる気がする。Change is in the air というか、本当に変化が空気に感じられるというか。

人からの連絡が増え、久しぶりの人にバッタリ会い、物事の進み方も面白くなってくる。

I can feel a change is coming. って歌詞があったけど、まさにその通りで、変化が感じられるのだ。

ようやくやってきたか、という感じ。楽しみだ。









最後の芝居 – Day 88

今日は長男の大学最後の芝居の千秋楽だった。ついこの間入学した気がするけど、もうすぐ大学も終わりというのが信じられない。

息子を演劇を専攻しているので、芝居には何度も行っている。最初は中学、高校のミュージカル、そして大学でのメインステージ。フリンジフェスティバルや、学生のプロジェクト、そして昨年夏にはシェイクスピアフェスティバルにも出演した。

そして毎回彼の芝居を観に行ったあとは一緒に写真を撮る。もうこれまで何度一緒に「芝居の後」の写真を撮ったのか覚えていないほどだ。

今日はなんだかそういった今までの「息子の芝居を観に行くお母さん」時代が終わりに近づいている気がしてすこしせつない日だった。

もちろんこれからも、「俳優の母」業は続くわけだし、息子の出る芝居は必ず観に行くと思うけど、学生でなくなると、なんだかこれまでとは違ってくる気がする。

息子の友達やクラスメイトたちも良い子ばかりで、彼らに会うことが減ると思うとそれも寂しい。

夢があってやりたいことがはっきりしている息子のことはとても誇りに思う。そして彼は、夢があってやりたいことがはっきりしているぶん、とてもラッキーだと思う。

彼はエージェント募集中ですので、よろしくw

先が見えないことについて – Day 87

今朝聴いていたポッドキャストで不確実性(Uncertainty)の話題が出ていたので、今日はそのことについて。

私も、昔は不確実なことが大嫌いだった。先が見えないと不安で、怖くて、どうしてもこの先どうなるのか知らないと気が済まなかった。

幸い、すこし前にこのことに関しては学んだので、今では不確実なことがあっても、embraceできるようになった。不確実なことがあっても、逃げたり怖がったりせずに、あえて向かっていくような。

私は仕事で日本の方と触れ合う機会が多いが、アメリカやカナダのクライアントさんに比べて日本の人の方が断然不確実性が苦手な人が多いようだ。ちょっとでも先が見えないこと、結果が分からないことがあるとものすごく不安性になる人が多く感じる。

確実なことを求めるのは人の性だと思うので、ある程度は仕方が無いことだと思う。しかし確実性を追い回して人生の全てを細部までコントロールするより、すこしくらい先が見えなくてもなんとかなるさ、と思って生きている方がストレスも少ないし、生きている、と実感することができる。というか、生きるって、そういうことじゃないかと思う。

心配するのも無駄で、人間が、こうなったらどうしようと不安に思うことの99%は実際には起こらない。最悪のケースを想定していしまうのも、生き残るための人の性だと思うが、想定している自分達が正しいことはあまりない。

少し前に信じることと確信との違いを学んで、これは私の人生の中でもかなり上位に入る学びだった。自分が書いたブログの中でもかなり好きなポストだ。

もしあなたが、先が見えないと不安と思っているなら、すこしはレリゴーしてみて欲しい。先が見えないからって死ぬ人はいない。すこしくらい冒険心があっても良いと思う。なるようになるさ、と思っているとストレスもだいぶ減る。

自分のルーツ – Day 86

若い友達が、仕事を辞めて、母親の母国に行って数年過ごすことになった。言葉はこれまでけっこう真面目に勉強してきてたそうだけど、現地に行ってもっと勉強し、まだご存命のおばあちゃんと話ができるようになりたいのだそうだ。良い話だと思う。

私は母国語の日本語以外にも英語が話せることで、オットの側の家族とも話ができるのは、とてもラッキーだと思う。

移民が多いカナダだと、親のどちらか、または両方がカナダじゃない方の国から来ている場合も多く、英語またはフランス語以外の言葉を話す家族というのが親戚にいることが多い。そういうとき、そのもうひとつの言語を話せるか話せないかというのは大きいと思う。

数ヶ月前、ポッドキャストの収録でカナダの先住民のアーティストをインタビューする機会があった。彼も自分の先住民の民族の言語を勉強していて、どうして今それを学ぼうとしているんですか、と聞いた際の彼の答えがとても深かったので、今でもよく覚えている。

彼は「その言語を学ぶことで、自分が完全になる気がするんです」と言っていた。

つきつめると、みんなそうなんじゃ無いかなと思う。失ってしまった言語を学ぶ人は殆どこの為に学んでいるんじゃないかという気がする。

別の友人で、同じように彼の母親の国に行って現地の言葉を学んでいた有事んがいたが、彼も、長いこと心に穴が開いているような気がしていたそうだ。でも、遠い親戚と再会して、言葉を学ぶようになって、その穴が満たすものをようやく見つけた気がする、と言っていたのが印象的だった。

誰だって、自分がどこからやって来たのか、そのルーツを知りたいのだと思う。言い古されたことかも知れないけど、真実だと思う。私の子供達も大人になったら日本に行って私のサイドの家族のことを知りたいと言い出すかもしれない。それはありきたりなことと言うよりも、ある種の通過儀礼のようなものかもしれないと思う。









あなたはひとりじゃない – Day 85

最近よく考えること。

英語で ”You don’t know what you don’t know” 知らないことは知らない、みたいな意味だけど、経験したことがないことは経験したことがない人にはわからないということ。当たり前と言ってしまえばそれまでだけど、だからこそ、他の人の立場に立って考えることがすごく大事という話を、さっき収録したポッドキャストでも話していた。

もしあなたが子供を持ったことが無かったら、65歳じゃなかったら、仕事をクビになったことが無かったら、病気の家族を持ったことが無かったら、愛する人を亡くしたことが無かったら、女の子とつきあったことが無かったら、自転車に乗ったことが無かったら、子供を保育園に入れたことが無かったら、カミングアウトしたことが無かったら、飛行機に乗ったことが無かったら、戦争を体験したことが無かったら、外国に行ったことが無かったら、先住民、黒人、またはアジア人として生まれていなかったら。。。

それと同時に、私達はひとりじゃないということも忘れてはいけない。

もしあなたが何かに圧倒される気分になるとき、ストレスを感じるとき、寂しいとき、悲しいとき、鬱状態のとき、何かに頭にきているとき、自分が何をしているのかわからないとき、自分には価値が無いと感じるとき、 人生でなにをすればいいのかわからないとき。。。

あなたはひとりじゃない。

あなたと同じように感じている人がこの地球のどこかに居ることを、私が約束します。または、以前あなたと同じように感じていた人。だからこそ、自分が感じていることを共有することが大切。必ず「その気持ち、すごくわかる」もしくは「私も以前そう感じていた」「私もそれ経験した」と言ってくれる人がいる。

だからすべての感情を自分のなかにとどめないで欲しい。吐き出すことって、すごく大事だと思う。吐き出す相手がどこにも見つからない場合は、私が話を聞きます。ほんとよ。

嘘をつくひと- Day84

今日は何を書こうかいまいち決められなかったんだけど、この数日のテーマは嘘をつく人、しかもこの数日の件は全て嘘をつく女だった。。。

こういうのって本当に理解に苦しむ。嘘って90%くらいの割合でバレると思うし—SNSが普及している現代では特に—全く価値のないことだと思う。

というか嘘をつく人の知性を疑う。

今日は疲れているけど締め切りがあるのでこの辺で。

嘘をつかず、正直に生きましょう。

Real is the new sexy.









謝らない女 – Day 83

最近つとめていることについて。

毎日、何らかの依頼がインボックスに入ってくる。翻訳やプルーフリーディングの依頼だったり、ボランティア業務だったりする。

バウンダリーを駆使して、できないことにNOと言うことはかなり上手くなったけど、未だに抜けないのが、つい謝ってしまうこと。

例:

「ユカリ、3ページの医療翻訳の依頼が来てて、今週末締め切りなんだけどできる?」

ごめん、もうすでに今週受け入れたプロジェクトで一杯だから新規は受け入れられないの」

この最初の謝る部分を無くそうとしている。

依頼を断ることは悪いと思うが、謝る必要は無いと思う。

「ぜひ引き受けたいところだけど、無理だわ」と言ってそれで充分なはず。

もちろん、自分が悪いことをしたときや、本当に悪いと思っている時は謝って全く構わないと思っている。ただ、女性は全体的に必要以上に謝りすぎだと思うのだ。

例2:

今日、仕事の後ガソリンスタンドで給油していたら、バックパッカー風の恰好をした男性が近寄ってきて言った:

「すみません、ナナイモ方面へ行きますか?Are you going toward Nanaimo?

若い男性は、どこのか聞き分けられなかったけど—アイルランドかな—素敵なアクセントで、いかにもナイスガイという感じ。

もちろん、彼がいかに「ナイスガイ」に見えようが私の知ったことではない。ナイーブだった昔なら、乗せて行っていたかも知れないが、シリアルキラーのテッド・バンディーだってめちゃくちゃチャーミングな男だったのだと知っている今ではFuck Politenessなのでたとえ実際に自分がナナイモ方面に行くとしても、知らない男性を車に乗せることはない。

話を元に戻そう。

「すみません、ナナイモ方面へ行きますか?」 彼が言ったのはその一言だけだったけど、ヒッチハイクをしているというのは明らかだ。

私の口からでた最初の言葉は:

「ごめんなさい!行かないんです!I’m sorry! I’m not!

彼が本当にナイスガイに見えたので、本当に気の毒に思ってしまった。本当に、最初に口からでたのが、I’m sorry!だったのだ。

これではいかん。

私が言うべきだったのは、一言だけ「行きません。」でよかったのに。

もっと練習が必要だ。

ジェネレーションギャップ – Day 82

今日は近所で行われたストーリーテリングを聴きに行ってきた。思っていたよりかなり年配の人ばかりで(子供はうちの息子だけ)、アウェイ感半端ない。でもストーリーはそれなりに面白かったので、来月も行くか、迷うところ。

今ストーリーテリングにハマっていて、自分がストーリーテリングをしたいという訳ではないのだけど、いろいろ研究している状況。いろんなストーリーテリングの会に行ってみるのは(教会行かないヒトだけど)新しい土地で通う教会を探すのに雰囲気的に似ている気がする。自分にあう場所を探しているという意味で。

また最近、世代というものについてよく考える。今一緒にバイト先で仕事をしている子達はかなり世代が下で、私はそこまで苦にならないけど、彼女たちからしたら自分は「おばさん」だということは重々承知している。

私もかつて20代の頃、40代なんて年寄り、と思っていたので、その罰(笑)を今受けているというか、若い人がそういう考えをするのはごく普通だと思っている。 そして今夜は、自分より上の世代の人達の集まりに行ってみて、やはりジェネレーションギャップというものはあるよなと思ってしまった。

今日の集まりでは「今日初めて来た人〜?」と聞かれて手をあげた数名のうち、「このグループをどうやって知りました?」と聞かれた答えが、年配の男性は「新聞のイベント紹介記事で読みました」と答え、私は「Facebookのイベントで見ました」と答えた。このへんにもギャップが。

完璧な世界だったら、年齢に関係なくみんな交流できるのだろうけど、世代の文化というものにはかなり差があるため、ちょっとアウェイになるとかなり気まずい。

そして、私が自分達の世代の集まりに若い人を呼んだりすると、彼/彼女たちもきっと居心地悪いのだろう。それは残念だけど仕方が無い。

私達がシニアになったとき、どんな感じなのか思わず考えてみた。老人ホームでは白黒のクラシック映画の代わりに「フレンズ」マラソンとかやってたりして。孫に、iPhoneってなに?テキストメッセージってなに?って聞かれたりね。

まだ先の事だけど、自分たちがどんなシニア世代になるのか、ちょっと気になる。。。

ヘイトクライム – Day 81

今日はかなり滅入っているので短く。

世の中にまん延するヘイトに滅入っている。

トランス(トランスジェンダーのこと。英語圏ではトランス、と短くいうことが多い)のFacebookフレンドが、某SNSであまりにひどいヘイト画像にタグ付けされていた。フレンド仲間たちで、そのタグ付けしたアカウントを報告して一応アカウントは削除されたのだが、別の名前でまた新しいアカウントを作り、この友達をまたターゲットにしてきた。ショッキングな画像で、これを知った友人からのコメントの多くは「なんて酷い。なんでこんなことを!」のようなものだったが、トランスの友達は「トランスの人間には、こういうハラスメントは日常茶飯事なんです」と言っていて、さらに滅入った。

クライストチャーチや他の都市で起こる乱射事件もそう。

悲しい。

子供番組をやっていたあの神様のようなミスター・ロジャーズは「怖いことがあったら、助ける人(ヘルパー)を探してごらん。どんな怖い事件の時も、必ずそこで助けようとしている人がいるから」と言っていたけど、自然災害ならともかく、誰かが誰かを意図的に傷つけようとするヘイトクライムの場合、ヘルパーを見つけるだけでは救われない。どんなにサポートやヘルパーが居ても、一度つけられた傷は、簡単にもとには戻らないのだから。