【おすすめポッドキャスト#001】This American Life

本の紹介も少しづつ、ゆっくりやっていますが、これから、おすすめのポッドキャストも紹介していこうと思っています。ポッドキャストは大好きで、絵を描いている時、キッチンに立っている時、運転中、散歩中、常に何か聴いています。

最初に紹介するポッドキャストはこれ。

アメリカでは知らない人はいないというほど有名なポッドキャスト、This American Life. 私の中でも恐らく好きなポッドキャストTop5にはいります。

1995年から20年以上続いているシカゴ公共ラジオの番組ですが、ポッドキャストとしても世界中で親しまれています。ホストはユダヤ系アメリカ人のIra Glass。ラジオ業界では神(それは大げさか)のような人ですが、うちの夫いわく「聞いているとリラックスして下手すると眠くなる」ような独特の声で知られています。ラジオに興味がある私にとっては、一生のうちに一度会ってみたい人物の一人です。

毎週テーマにそってエピソードを作成。時には政治的な問題(難民問題、米国憲法修正第一項、左右極端に分かれるアメリカ国民など)に全エピソードを捧げることもありますが、通常は2から4つのセグメント(お芝居の様にAct1, Act2と呼ばれています)に分かれ、取材を元にしたストーリーや、時には詩やエッセイの朗読もあります。

私はポッドキャストとしてiPhoneで聴いていますが、毎週日曜日の夕方6時に新エピソードがリリースされるので、それを聞きながら夕食の準備をするのが私の習慣になっています。

一番最近の、先週のエピソード646のタイトルは「Secret of my Death」で、すでに亡くなった人たちにまつわるストーリー。

第1幕、Act 1はドラッグで姉を亡くした女性がディーラーにむけて書いた手紙、”Dear Dealer” です。”Did you even call her by her name? Or was it “lady” ? Or maybe you had a nickname for her, like “purple” the color of her car, the one she was found in” 「彼女を名前で呼ぶことなんてあったのかしら?それとも単に”lady”?もしかしたらニックネームを使ってたかもね、彼女が死んでるところが見つかった車の色にちなんで、「パープル」とか」ドラッグ問題を抱えていた姉は、車の中でオーバードーズして死んでいるところが見つかりました。亡くなった姉の携帯には、様々な人達から、ドラッグのディールに関するテキストメッセージが残されていました。姉を薬物中毒で亡くした妹の、誰にも向けることができない怒りに、胸が痛みます。

第2幕は、「メメント・モリ」ならぬ「コメント・モリ」。ある日突然昏睡状態になった男性。目を覚まさない日々が続き、家族はついに生命維持装置を切ることを決めます。その日の夜、生命維持装置を切るということがFacebookにて家族や友達に知らされると、何百という友人達からコメントが寄せられました。ところが、2週間後に。。。ネタバレになるのでここでやめておきますね。続きが知りたい方はぜひエピソードを聴いてみてください。

http://mickey11042.blog.fc2.com/blog-entry-118.html

毎週、面白い話、怖い話、感動的な話と様々なストーリーを聴かせてくれるThis American Life、お気に入りのエピソードは数多くありますが、日本人としてもっとも心に残ったエピソードはエピソード597 “One Last Thing Before I Go” というエピソード内のAct1, “Really Long Distance” です。岩手県大槌町にある、東日本大震災で亡くなった、もしくは行方の知れない家族にメッセージを送れる公衆電話「風の電話」に関するエピソードですが、 NHKの番組で紹介されていたとのことですので、日本で観た方もいるかもしれません。この番組のプロデューサーの一人、Miki Meekは日本に家族がいるとのことで、NHKの許可を得て風の電話のストーリーをシェアしてくれました。私自身はこのポッドキャストで初めて知ったので、聴いたときは思わず涙してしまいましたが、何度聴いても、涙が止まりません。日本語で話されている部分がそのまま放送されていますので、ぜひ一度聴いてみてください。

これからもどんどんおすすめポッドキャストをご紹介していきますのでお楽しみに。

 

東北の新月

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昨日、ビクトリア大学の映画館Cinecentaにて復興支援ドキュメンタリー「東北の新月」を鑑賞しました。日系カナダ人三世のフィルムメーカー、リンダ・オオハマ氏が岩手、宮城そして福島での2年半のロケを経て完成した東北の人々の生の声をまとめた映画です。東日本大震災の際、7歳のお孫さんから「東北の人達はこれからどうなるの?」と聞かれたことがきっかけで、ボランティアのため日本に向かったリンダさん。現地の人々と知り合い親しくなるにつれ「私達の話を映画にして世界の人達に伝えて下さい」と頼まれたのだそう。

最初は「私にはとてもじゃないけど無理」と断ったリンダさんですが、福島原発近くの「No-Go」ゾーンを初めて訪れた時にその答えが変わったそうです。ゴーストタウンと化した街で、今でも変わり続ける信号を見て涙がでたと言います。その後、2年半に渡り被災者のみなさんへのインタビューを続け、このたびカルガリー国際映画祭にてワールドプレミアが行われ、映画に出演されている岩手県大槌の鍼灸師の佐々木賀奈子さん、娘の星瑛来さんと共にカナダまで来て下さいました。

映画の中で賀奈子さんは津波の日の壮絶な体験をシェアして下さっています。津波に足を救われ、流れてくる様々な物、建物、人達。その光景は「地獄のようだった」といいます。なんとか救助されたあとは濡れた服で凍える身のまま、一晩中他の方の手当をされたそうです。お話を聞いていて私も胸が一杯になりました。

ビクトリアの鑑賞会の前にリンダさんとランチでお話をする機会がありました。映画にも出てくる児童の70%を亡くした石巻の大川小学校は、私も2013年に訪問していますが、そこで12歳の娘さんを亡くされたあるお父さんが、リンダさんに「私はとても幸運です」と言われたそうです。12歳の一人娘を亡くしたのに、何故幸運なの?リンダさんは最初は聞き間違いかと思ったそうですが、この方は「私はこの子の父親になることができた。私は幸せものです。」と言われたと聞いて涙が止まりませんでした。生きていくために、ネガティブなことをポジティブに変えて行く人が東北にはとても多いのだ、というリンダさんの言葉がとても印象的でした。

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鑑賞会では、拙いながらも簡単な通訳をさせて頂きましたが、鑑賞後の賀奈子さんからのメッセージは「沢山の方に見て頂きたい。そして大切な人に伝えて欲しい。平和な生活はいつ失われるか誰にもわからないので。。」というもので、通訳をしている私も思わず涙してしまいました。この映画には他にも福島のNo-Goゾーンにある職場を見に行く人、放射能に対する不安を語るお母さんなどが登場します。しかし悲しいことばかりでなく、すべてを失っても元気に生きていく漁師の方、相馬野馬追を続けていく継承者のお侍さんなど復興に向けて少しずつ前進している様子も描かれており、希望のある映画になっています。一部のナレーションは女優の草刈民代さんが担当しています。

カナダでの上映会は2016年10月で一旦終わり、12月から日本での上映の予約を現在受け付けているそうですので、このブログを読んで下さっている方で、自分のコミュニティ(学校、会社など)で上映会をしたいと言う方は「東北の新月」のサイトからお申し込み下さい。

賀奈子さんにも、できるだけのお手伝いをしますのでこれからもよろしくお願いします、とご挨拶しましたが「まだ始まったばかりですものね」と言われたのが印象的でした。

機会があれば是非見て頂きたい映画です。

監督: リンダ・オオハマ

原作国: カナダ/日本

制作年: 2016

上映時間:98 分

 

復興のきっかけバス

きっかけバス

東日本大震災からもうすぐ2年半ですね。みなさんは復興という言葉を聞いて、まず最初に思い浮かぶのは何ですか?

私は、実家が長崎県の佐世保市なので、震災の被害は全くと言っていいほど受けていません。ですが、Twitterをきっかけにつながった、沢山の「助けあいジャパン」のみなさんと一緒に、細々とですが、復興を応援しています。

震災直後には、私の住むビクトリアでもHope Love Japanというファンドレイザーのイベントをやり、カナダの赤十字を通して寄付しました。今年の3月には東北沿岸を助けあいジャパンの野田さんと、アメリカのビデオブロガー、Geekbeat TVの2人とで周り、実際に被災地の様子も見てきました。

共徳丸の前で手を合わせ、気仙沼の復興市場のおばちゃんに会い防災庁舎では涙し、石巻のヤフー復興ベースではUstreamをさせていただきました。

あのツアーで見た光景、会った人たちのことは今でもはっきり覚えています。その時に感じた、「被害が多すぎてどこから手を付ければいいのかわからない」という無力感もまた、よく覚えています。

震災から2年半が過ぎようとしている今、あなたにとって復興とは何ですか?

自分のことだけでいっぱいいっぱいですか?

手伝いたいけど何から手をつければいいのかわからない、という人のために、「きっかけバス」はできました。

もう一度、東北のことを話すきっかけ
もう一度、ボランティアや東北に行くきっかけ
もう一度、復興に関わるきっかけ
もう一度、311の教訓を学び、つぎの防災につなげるきっかけ

きっかけバスは47各都道府県から2000人のボランティアを集めて行う東北3県縦断の復興ボランティアツアーです。このツアーには4つの特徴があります。

1.被災地でのボランティアを通じて、震災を知り防災を学ぶ
2.あるようでなかった、3県縦断バスツアー
3.参加した学生は次の学生に繋げて、リレー形式で被災地に全国の学生が関わり続ける
4.社会人が学生の交通費をサポートする寄付の仕組み

実際に参加する学生さんを、各都道府県の「先輩」がスポンサーするという非常にユニークなアイデアで、私も応援しています。詳細はReadyfor?のページを見て下さい。

ちなみに私の出身地の長崎県からは11人分スポンサーされています。このReadyfor?のプロジェクト終了は9月2日。あと4日です!

是非、拡散してこのプロジェクトを成功させましょう。

あなたの出身地からは何人サポートできてますか?是非チェックして、拡散お願いします。

きっかけバスのブログはこちらから。

Readyfor? きっかけバス プロジェクトページ

 

カナダを自転車で横断した男、再び。

安部良さんと

カナダを自転車で横断した男」と題して英語ブログのほうで安部良さんをご紹介したのは2011年の9月のことです。東日本大震災の後、カナダから応援してくれた人達に感謝する為に、カナダを自転車で横断されました。

それから約2年後、安部さんがまたビクトリアに戻って来てくださいました。

今度は、アメリカ西海岸、サンディエゴから出発し、西海岸を北上してこられました。2011年の大震災の後、カナダの人達にありがとうを伝えたい、と自転車での冒険にでられた安部さんですが、今回は、海岸沿いを北上しながら、どのくらい津波後、がれきなどが漂着しているかも見てみたかったということですが、意外にも、まだ到着していないというところが殆どなのだそうです。

安部さんは2011年のカナダ横断後にニュージーランドと台湾でも自転車で各地を回りながら「日本を応援してくれてありがとう」と伝え続けて来て下さっていますが、やはり台湾ではものすごくサポートが大きかったとのことです。嬉しいですね。

そしてやはりアメリカ西海岸は、日系の人も多いなどということもあり、ニュージーランドよりもサポートが大きかったそうです。

カナダには、バンクーバーをいったん通り抜けてナナイモへ。その後、ナナイモからビクトリアまで南下してこられました。

それにしても安部さん、日焼けがすごい!日焼け止めを塗ると虫が寄ってくるので塗らないそうですが、ほんとに、こげちゃってる感じでした。気をつけて下さいね。。

久しぶりにお会いして、カナダの約2年ぶりの印象などをうかがったあと、今後の夢なども教えて頂きました。

台湾には親日家が多いのは良く知られていますが、本当にいいひとたちに沢山会われたようで、台湾の若い人達を助ける財団を作りたいとのことでした。

日本も震災後二年を過ぎて、まだ課題は山積みですが、日本は全員の足並みが揃うのを待つ傾向があって、いつまで経っても実行に移せないということが多くないですか?等というお話をしました。以前紹介した、東北で自分だけで寄付金集めをして復興の手伝いをしているキャロラインも、「待っていたらいつまでたっても復興は進まない」という意見で自分で活動している人です。自分で、一人で、やる、ということは、団体社会の日本では批判されることなのかも知れませんが、待っていてはいつまでも実行に移せません。

今しか出来ないこと、自分にしか表現できないことというのは絶対にあると思うのです。そして、口先だけじゃなくて、実際になにかやっている人のは本当に少ないと思います。

安部さんはこの数年の自転車の旅をまとめた本を出して、それから財団を始める準備に取りかかられるそうですが、もしこのプロジェクトに賛同いただける方は是非ご連絡下さい。私も応援しています!