今日は何を書こうかいまいち決められなかったんだけど、この数日のテーマは嘘をつく人、しかもこの数日の件は全て嘘をつく女だった。。。
こういうのって本当に理解に苦しむ。嘘って90%くらいの割合でバレると思うし—SNSが普及している現代では特に—全く価値のないことだと思う。
というか嘘をつく人の知性を疑う。
今日は疲れているけど締め切りがあるのでこの辺で。
嘘をつかず、正直に生きましょう。
Real is the new sexy.
今日は何を書こうかいまいち決められなかったんだけど、この数日のテーマは嘘をつく人、しかもこの数日の件は全て嘘をつく女だった。。。
こういうのって本当に理解に苦しむ。嘘って90%くらいの割合でバレると思うし—SNSが普及している現代では特に—全く価値のないことだと思う。
というか嘘をつく人の知性を疑う。
今日は疲れているけど締め切りがあるのでこの辺で。
嘘をつかず、正直に生きましょう。
Real is the new sexy.

最近つとめていることについて。
毎日、何らかの依頼がインボックスに入ってくる。翻訳やプルーフリーディングの依頼だったり、ボランティア業務だったりする。
バウンダリーを駆使して、できないことにNOと言うことはかなり上手くなったけど、未だに抜けないのが、つい謝ってしまうこと。
例:
「ユカリ、3ページの医療翻訳の依頼が来てて、今週末締め切りなんだけどできる?」
「ごめん、もうすでに今週受け入れたプロジェクトで一杯だから新規は受け入れられないの」
この最初の謝る部分を無くそうとしている。
依頼を断ることは悪いと思うが、謝る必要は無いと思う。
「ぜひ引き受けたいところだけど、無理だわ」と言ってそれで充分なはず。
もちろん、自分が悪いことをしたときや、本当に悪いと思っている時は謝って全く構わないと思っている。ただ、女性は全体的に必要以上に謝りすぎだと思うのだ。
例2:
今日、仕事の後ガソリンスタンドで給油していたら、バックパッカー風の恰好をした男性が近寄ってきて言った:
「すみません、ナナイモ方面へ行きますか?Are you going toward Nanaimo?」
若い男性は、どこのか聞き分けられなかったけど—アイルランドかな—素敵なアクセントで、いかにもナイスガイという感じ。
もちろん、彼がいかに「ナイスガイ」に見えようが私の知ったことではない。ナイーブだった昔なら、乗せて行っていたかも知れないが、シリアルキラーのテッド・バンディーだってめちゃくちゃチャーミングな男だったのだと知っている今ではFuck Politenessなのでたとえ実際に自分がナナイモ方面に行くとしても、知らない男性を車に乗せることはない。
話を元に戻そう。
「すみません、ナナイモ方面へ行きますか?」 彼が言ったのはその一言だけだったけど、ヒッチハイクをしているというのは明らかだ。
私の口からでた最初の言葉は:
「ごめんなさい!行かないんです!I’m sorry! I’m not! 」
彼が本当にナイスガイに見えたので、本当に気の毒に思ってしまった。本当に、最初に口からでたのが、I’m sorry!だったのだ。
これではいかん。
私が言うべきだったのは、一言だけ「行きません。」でよかったのに。
もっと練習が必要だ。

今日は近所で行われたストーリーテリングを聴きに行ってきた。思っていたよりかなり年配の人ばかりで(子供はうちの息子だけ)、アウェイ感半端ない。でもストーリーはそれなりに面白かったので、来月も行くか、迷うところ。
今ストーリーテリングにハマっていて、自分がストーリーテリングをしたいという訳ではないのだけど、いろいろ研究している状況。いろんなストーリーテリングの会に行ってみるのは(教会行かないヒトだけど)新しい土地で通う教会を探すのに雰囲気的に似ている気がする。自分にあう場所を探しているという意味で。
また最近、世代というものについてよく考える。今一緒にバイト先で仕事をしている子達はかなり世代が下で、私はそこまで苦にならないけど、彼女たちからしたら自分は「おばさん」だということは重々承知している。
私もかつて20代の頃、40代なんて年寄り、と思っていたので、その罰(笑)を今受けているというか、若い人がそういう考えをするのはごく普通だと思っている。 そして今夜は、自分より上の世代の人達の集まりに行ってみて、やはりジェネレーションギャップというものはあるよなと思ってしまった。
今日の集まりでは「今日初めて来た人〜?」と聞かれて手をあげた数名のうち、「このグループをどうやって知りました?」と聞かれた答えが、年配の男性は「新聞のイベント紹介記事で読みました」と答え、私は「Facebookのイベントで見ました」と答えた。このへんにもギャップが。
完璧な世界だったら、年齢に関係なくみんな交流できるのだろうけど、世代の文化というものにはかなり差があるため、ちょっとアウェイになるとかなり気まずい。
そして、私が自分達の世代の集まりに若い人を呼んだりすると、彼/彼女たちもきっと居心地悪いのだろう。それは残念だけど仕方が無い。
私達がシニアになったとき、どんな感じなのか思わず考えてみた。老人ホームでは白黒のクラシック映画の代わりに「フレンズ」マラソンとかやってたりして。孫に、iPhoneってなに?テキストメッセージってなに?って聞かれたりね。
まだ先の事だけど、自分たちがどんなシニア世代になるのか、ちょっと気になる。。。
今日はかなり滅入っているので短く。
世の中にまん延するヘイトに滅入っている。
トランス(トランスジェンダーのこと。英語圏ではトランス、と短くいうことが多い)のFacebookフレンドが、某SNSであまりにひどいヘイト画像にタグ付けされていた。フレンド仲間たちで、そのタグ付けしたアカウントを報告して一応アカウントは削除されたのだが、別の名前でまた新しいアカウントを作り、この友達をまたターゲットにしてきた。ショッキングな画像で、これを知った友人からのコメントの多くは「なんて酷い。なんでこんなことを!」のようなものだったが、トランスの友達は「トランスの人間には、こういうハラスメントは日常茶飯事なんです」と言っていて、さらに滅入った。
クライストチャーチや他の都市で起こる乱射事件もそう。
悲しい。
子供番組をやっていたあの神様のようなミスター・ロジャーズは「怖いことがあったら、助ける人(ヘルパー)を探してごらん。どんな怖い事件の時も、必ずそこで助けようとしている人がいるから」と言っていたけど、自然災害ならともかく、誰かが誰かを意図的に傷つけようとするヘイトクライムの場合、ヘルパーを見つけるだけでは救われない。どんなにサポートやヘルパーが居ても、一度つけられた傷は、簡単にもとには戻らないのだから。

昨日書いたことに似ている考え方として、「進むべき道に向かっているなら、何事もスムーズにいくものだ」というものがある。
昔知り合いの女性で、遠距離恋愛をしていた人がいたが、トラブル続きだった。そしてそのトラブルの殆どが、外的要因によるものだった。たとえば2人で旅行に行こうとすると彼のパスポートが見つからないとか、彼が彼女に会いに来ようとすると入国審査で引っかかったりなど。結局その人とは彼女は別れてしまったのだが、その後彼女は別の男性と知りあった。その人とは全くなんの問題もなくトントン拍子に話が進み、婚約し、今では結婚して子供もいる。彼女が婚約したころに「前の彼とは全てが大変だったので、ふつうの交際がどんなものなのか忘れてたけど、今の彼とは全てが簡単。」と言っていたことをよく覚えている。
これは私も信じる。自分が進むべき道に居るとき/一緒になるべき人といるときは、何事もスムーズに進むものだ。
プロジェクトや何かをやっているとき、あまりにも問題が多い場合は「こっちに進むべきではない」というメッセージなのだと受け取ることが多い。
この数年私も「こっちに行くな」というメッセージが多かったので、今軌道修正中だ。まだ、今の道が正しい道なのかどうかははっきりしない。必ずしも「スムーズ」な道ではないからだ。でも明らかな「NO」のメッセージが出てくるまでは、しばらく進んでみようと思っている。

「いちど心を決めると、宇宙がそれを実現しようと助けてくれる」
という言葉がある。
あなたはそれを信じますか?
私にはわからない。
実際に自分に起こったことがないから。
でもさっき、学んでみたいトピックのオンラインコースが$49から$15に割引になっていたので即買いした。
そしてこの言葉を思い出したんだけど。
これを起こるべくして起こった偶然とみるか、単なる優れたマーケティングとみるか。
私は正直どっちでも良い。私は普段オンラインコースをすぐに買ったりするタイプではないので(いつもは無料の大学講座を取っている)、買いたいものが目の前に現れたのには、ちょっと驚いたけど。
時が経てばわかる。

今私達がハマっているTV番組は“Workin’ Moms”というNetflixのドラマだ。タイトルの通り、4人の小さな子供を抱えるワーママをめぐるコメディドラマ。テレビを普段観ない私は全然知らなかったのだが、もとはカナダのCBCが制作した番組で、このたびNetflixにやってきたというわけ。オンラインで友達が見ている番組としてよくこの番組の名前を聞くようになったので、オットと一緒に観てみたら、かなり面白くてハマってしまった。
カナダで制作される番組ははっきり言ってアメリカの大予算ものに比べるとショボいことが多いのだが、これは女優さん達も演技上手いし(特にアン役のDani)、4人の全く違うタイプのワーママキャラを出してきているところなど、SATCを意識してるなーと思わずにいられないけど、その割にストーリーも面白くて、まだシーズン1だけどこれからもっと面白くなりそう。
番組はそのままでも充分面白いのだが、私にとって何が楽しみかというと、番組に登場する赤ちゃんたちだ。各エピソードは4人のママたちが、「マミー&ミー」みたいな、赤ちゃんサークルのようなセッティングで様々な—授乳のことや、セックスのことなど—を話すシーンから始まるのだが、その周りで赤ちゃんたちが座ったり遊んだりコロコロしていたりして超和む。
私は長男が21歳、次男が10歳なので、完全に、赤ちゃんがいるとすぐにだっこしたがる怪しいおばちゃん化している。初対面の人でも赤ちゃんがいるとすぐにベビーシッターしますよ、などと言ってしまう。そしてほぼ毎回マジ。自分はもう子供はいらないけど、赤ちゃんってなんであんなに癒やされるのだろうか。なのでテレビを観ていて可愛い赤ちゃんがでてくると、「Baby!」と叫ぶのが癖になってしまっている。
私は今でも映画・TV業界に入ろうかどうか悩んでいるのだけど、なぜこの業界に興味があるかというと、私は昔から舞台裏というものにすごく興味があるからだ。テレビや映画を観ていて、すごいシーンになると「これっていったいどうやって撮影したんだろう??」ということがものすごく気になるタイプなのだ。
なので毎回赤ちゃんが出てくるシーンになると、「撮影大変だっただろうなあ」と制作クルーの人達のことを考えずにはいられない。英語では「子供と動物とは仕事するな」とこの業界では言われる。不測の事態が起きて撮影に支障をきたしたり時間がかかったりするから。赤ちゃん1人セットにいるだけで大変だと思うけど、こんなに何人も赤ちゃんいたらさぞかし大変だろうなと思う。撮影の時間になったらお昼寝しちゃったりしてね。(話は逸れるけどブラッドレー・クーパー主演の「アメリカン・スナイパー」で明らかに人形の赤ちゃんを使っているのは、ちゃっちゃと撮影することで有名なクリント・イーストウッド監督が、人間の赤ちゃんがセットで準備できていなかったため、待ちきれずに人形を使ったという話を聞いたことがある。観てみると、バレバレで可笑しいw)
それよりもっと気になるのが、赤ちゃんが号泣しているシーン。いったいどうやって撮影してるんだろう?わざとお腹をすかせる?つねったりするのかな?(まさかね)それとも、本当のママがスタジオを去るところを見せちゃうとか?動物と同じで、もちろん赤ちゃんに実際に危害を加えているわけはないと思うけど、それじゃあ一体どうやってるんだろう?もし業界の方で真相を知っている人がいたらぜひ教えて欲しい。

Ivan Coyote(アイヴァン・カヨーテ)はカナダのストーリーテラー、スポークンワードアーティストそしてライター。ユーコン準州で生まれ育ったトランスジェンダーだが、カナダ特にBC州では人気がある。
私は2年前にビクトリアでTomboy Survival Guideのショウをみて以来アイヴァンの大ファンだ。今年もつい最近、アイヴァンと、パートナーのサラ・マクドゥーガルが二人でやるTrader Timeというショウも観たばかりで、それもとても良かった。この、本バージョンのTomboy Survival Guideはその時に購入してサインしてもらったもの。
本当に感動した本の書評を書くのは苦手だ。ボキャブラリーはほとんど「良かった」「素晴らしかった」「感動した」で終わってしまうから。この本も同じで、どのストーリーも素晴らしかった。
アイヴァンのショウを観たことがある人なら、アイヴァンがどのくらい才能あるストーリーテラーか、ご存じと思うが、この本も例外なく、素敵なストーリーに満ちている。
ユーコン準州で育った子供時代の話、きょうだいやいとことトラブルに巻き込まれた話、家族の話から、男ばかりの電気工学校時代の話、バンクーバーで映画のセットで働いていた時の話、トランスジェンダーとしての辛さや悩み、クイアとして悩む人へ充てた手紙、などなど、どれも、涙が出るほど笑えるか、感動するか、またはぶつけようの無い怒りでいっぱいになったりする。
そして、ストレートでトイレや更衣室を毎回なんの問題もなく使えてきた私にとって、トランスジェンダーのトイレ問題は(このことに関してはポッドキャストでも以前話しているが)本当に深刻だと実感させられたし、これからジェンダー問題と共に積極的にサポートしていこうと思った。
アイヴァンの文章はユーモアと愛に満ちていて、いつもやさしい。そして、はっと感心させられるような表現に溢れている。
アイリッシュカソリックの家族に育てられたアイヴァンだが、敬虔なカソリックだったおばあちゃんの「神様は間違いをおかしたりはしないんだよ。あんたは神様の思し召し通りの人間ってことを忘れちゃいけない」という言葉が胸に響いた。
アイヴァン・カヨーテはカナダの国宝だと思う。

今月はかなりいっぱいいっぱいの感が。仕事やら締め切りやらイベントやらがありすぎて、追いついていけてない。いろいろなことが起こっているわりには、進歩はしていない。先月よりは天気はすこし良くなって、外出したり人に会ったりしているのだけど、(写真は今日行ったユダヤコミュニティセンターでのランチ)何となく全てがノイズのような気がする。他の人達が作りだしているノイズ。
もしかしたらただ単に進歩が遅いことに関してイライラしているだけなのかもしれない。もしくは、自分ばかりが全てやっているような気がしているのかもしれない。よくわからない。
3月はそわそわする人が多いのだと誰かが言っていたので、私だけじゃないのかもしれない。
そういうときは、可哀相〜、大丈夫?ではなくて、辛いね、と言ってくれる人を友達と呼びたいし、自分もそういう人でありたいなと思う。
(詳しくはシンパシーとエンパシーの違いを参照)
どちらにしても、自分にできることはやるべきことをやっていくのみ、だけど。
あの日から8年。
8年前のあの日、私は高校生だった長男のミュージカルを観るため、ダウンタウンに居た。ミュージカルが終わってスマホをチェックすると、沢山の人達から「あなたの家族は大丈夫?」というメッセージやツイートが並んでいた。地震?どこで?
実家は佐世保なので、我が家はまったく被害にあわなかったのだけど、TVやネットでみる惨状に、心の芯まで揺さぶられた。多くの人がそう感じたのではと思う。
地元のTV局に呼ばれて地震の話をし、生テレビで泣いたことを覚えている。いろんな人から連絡があり
日本のためのファンドレザーHope Love Japanを企画したことも覚えている。同じ年の5月に日本に帰国したが、節電のためどこも暗かったことを覚えている。東京のホテルで軽い地震を経験したことも。
東北出身に人でなくても、知り合いが誰も被災していなくても、あの災害は私達を永遠に変えたと私は思っている。
翌年の2012年に助けあいジャパンさんのはからいで、東北に行く機会があった。震災から1年程度なので、被害の爪痕はまだまだ新しかった。陸に乗り上げた第18共徳丸や、南三陸では防災庁の建物にも立ち寄った。大川小学校でも手をあわせてきた。どれも、今でも忘れられない悲しい場所だ。
8年後の今、避難状況にいる人々は5万4千人、うちプレハブの仮設住宅に住んでいる人達はまだ5千人ほどいるとのこと。
復興には、明確な終わりというものは無いのかもしれない。どちらにしろ、まだまだ忘れるわけにはいかない。近いうちに、またぜひ東北へ行って、今の東北の様子をカナダと世界に届けたいと思う。