誰にでも与えられる表現の機会、フリンジフェスティバル[#yyjfringe 1/2]

11日間にわたるインディ演劇祭、ビクトリアフリンジフェスティバルが今年も終わりました。今までは、いち観客として観に行っていた私ですが、今年からビクトリアのフリンジをプロデュースしているIntrepid Theatreの理事会員になり、今年はより深くフリンジと関わることになりました。

フリンジフェスティバルとは?

こちらのウィキペディアのページを見ていただければわかると思いますが、もともとはイギリスのエディンバラから始まった、インディペンデントのパフォーマーが集まるイベントで、ソロ/モノローグ/一人芝居、コメディ、サーカス/ジャグリング、キャバレー/バラエティショウ、ドラマ、ダンスなど様々な、「メインストリームでは見れない」ショウが展開されます。

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今年のテーマは水中ということで、オープニングパーティには人魚も登場。

フリンジフェスティバルはキュレーション、審査、検問なしで、参加費を払えばプロ・アマ問わず参加申し込みができ、最終的には抽選で参加が決まります。世界各地から集まるアーティストはビクトリアフリンジに限ればアメリカ、日本、オーストラリア、イギリスなどから来ています。

審査や検問が無いのは自由な表現を奨励するためですが、同時に、質に差が出るのも事実です。ですがフリンジを楽しむコツはこの「当たり外れ」をあえて楽しむことでもあります。Take a riskとはこのイベント中、よく使われるフレーズです。

フリンジがユニークなもうひとつの理由は、チケットの売り上げがすべてアーティストに100%支払われるということ。イベントをプロデュースしているIntrepid Theatreは、各自一人一個必要なフリンジ・ボタン($6)を売って収入にしていますが、チケットの売り上げは全てアーティストに渡りますので、直接アーティストをサポートしていることになります。

今回初めてフリンジにじっくり「中の人」として関わってみて、私個人のいちばんの収穫は、さまざまなアーティストと知り合えたことです。

今年は「ストーリーテリング」という形式の一人語り風のショウが多く、自分の個人の経験を語るアーティストが多かったです。

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フリンジのショウのポスター

チェルノブイリの近くにあるゴーストタウンを自分の目で見に行ったNYのストーリーテラー、Martin Dockeryや、自分自身のOCD(強迫性障害)の経験と、脳の働きについて語ったカナダのスポークン・ワード・アーティストのBrendan Mcleod。老いていく母の介護について語ったNY/LAのプロ俳優、ダンサーのJohn Grady、「自分の人生における真実とは」について語ったビクトリア大学演劇科出身のSam S. Mullins。人の記憶について感動的なストーリーをシェアしてくれたKatie Dorian。

私は個人的にストーリーテリングが大好きなので(The Mothというストーリーテリングの有名ポッドキャストはおすすめです)とても楽しめましたが、他にもナチスに攻められ最後の二人となったユダヤ人が最後の夕食を味わうThe Best Meal You Ever Ate、日本からケサラン/パサランの精を演じたYanomi Shoshinzさん、タスマニアのサーカス/キャバレーパフォーマー、Birdmannとコラボしながらツアーを続けている日本人のEggさん、バーレスクを交えたショウをやった地元ビクトリアのRosie Bitts、イギリス出身で、一人で何役も演じ分けフリンジでは有名な才能あふれるGemma Wilcoxなどなど、さまざまなジャンルのショウを観ることができました。

沢山のショウでもらってきたチラシ類。パーティハットをくれたショウも。
沢山のショウでもらってきたチラシ類。パーティハットをくれたショウも。

今回、フリンジで沢山のアーティストと話をしてみて、そして様々なショウを観て感じたことは、やはり、人間にはアートが必要だということ。音楽でも、詩でも、演技でも、ダンスでも、絵でも、なんでもいいのです。自分を表現できるものがみんな必要。みんな「This is my thing」、これは自分にしかできないことだからこそやっているという印象を受けました。

私は役者ではないですし、演出や脚本を書くことにも興味があるわけではありません。それでも、役者やライターであるフリンジアーティストにまじって話を聞き、彼らのショウを観るたびに、「表現するひと」としての彼らの姿に深い感動を覚えました。あなたの表現方法は、なんでしょうか?

第2部につづく)