今日、2013年7月1日は、私がカナダに到着して15年目の記念日です。
もう15年のような、まだたったの15年のような気もします。
1998年の7月1日、私はまだ10ヶ月だった長男とともに、バンクーバー国際空港に降り立ちました。
当時の夫は、佐世保の語学学校に英語教師として勤めていましたが、ちょうど私たちがカナダ移住を計画し始めた頃に、運良く、某ミリオネアのヨットでキャプテンをしていた彼の兄が、日本をそのヨットで訪問したのです。義兄はその後そのヨットをアラスカまで運ぶという仕事があったのですが、タイミングよく夫もそのヨットでクルーとして雇ってもらうことが出来、彼はヨットでアラスカのジュノーに向かい、その後仕事の後バンクーバーまで飛行機で行く事になりました。
バンクーバー国際空港で夫と無事落ち合ったあと、ウエストバンクーバーの彼の親戚の家に数日お世話になりました。荷物を置き、一休みした後、家族で近くの公園まで歩いて行きました。義理の叔父に「今日は祝日だからね、人が多いよ」と言われ、その時初めて、私が到着した日がカナダデイであるという事に気がつきました。全くの偶然でしたが、カナダデイにカナダ入りしたのは、幸先が良かったのかもしれません。
その公園までの歩き道で、日本では見たことのない花を見かけた事を良く覚えています。この花です。
Hypericumという花だそうです。
その後ビクトリアに移り、ベッド以外にろくに家具のないアパートに引っ越しました。
7、8ヶ月後には私の永住権も取れ、宝石店での売り子の仕事が最初のカナダでの仕事でした。
いったんカムループスという内陸の街へ1年ちょっと、夫の仕事の都合で引っ越しましたが、MBAを取るという夫の為に、またビクトリアに戻る事になりました。
仕事は、語学学校での受付の仕事を数年やったあとに独立して、ビジネスパートナーと一緒に留学エージェントを立ち上げたのが2003年。超がつくくらいのスモールビジネスですが、なんとか10年目を迎えました。
長男もあと2年で大学生だし、次男もこの秋からキンダガーデンです。
その間に、数えきれないくらいの人との出会いがあり、そして同じく、別れもありました。
離婚も、再婚も経験しました。もうやって行けないかも、というくらいの絶望感に陥ったこともあります。
でも、一つだけ言えることは、カナダから出て行く事は一度も選択肢の中にでてくることなかったと言う事です。
高校生くらいの頃から漠然と、「将来は外国に住みたい」と思っていましたが、英語だけは得意だったものの、大学にも行かずフラフラとミスドやバーテンのバイトをしていた頃に、ひょんなことから前夫と出会い、結婚して数年後にはカナダに来ていました。
本当に運が良かったのだと思います。私の前の夫はビクトリア出身でさえもないのです。彼の故郷のオンタリオに行っていたら?もし彼が極寒の小さな街出身だったりしたら?きっと15年後の私の生活は今とは大分違ったものになっていたでしょう。
カナダに来たばかりの事で、良く覚えているのは、とにかく木が大きかったこと。「でっけー!」といつも思いながら近所の木々を見上げていましたw 全然都会人じゃないんですけどね。
同性婚が認められていて、ゲイやレズビアンのカップルが全然珍しくないカナダ。離婚も同じくらい多いけれど、ミックスファミリーも普通なカナダ。アメリカの「人種のるつぼ」とは違って、お国柄をそのまま維持してカナダという移民国家を作って行く「人種のモザイク」のカナダ。ワールドカップやオリンピックのホッケーでは絶対に金メダルを目指すカナダ。アメリカ人と一緒にされるとめちゃくちゃ嫌がるカナダw。
もともとあまり日本人ぽくない私はここで本当に好きなことさせてもらっています。
ありがとう、カナダ。そしてお誕生日おめでとう!