あなたが虚しく過ごしたきょうは -Day 16

友達と新年会をしてワイワイ楽しんだあとに帰宅して今これを書いていますが、お酒も飲んでいないのに今日はなんだかしんみりした日でした。哀しいわけではないのですが。

SNS上で繋がっていた知り合いが、癌で亡くなりました。数年前、カンファレンスで一緒になって以来、Twitterでフォローしあっていた人ですが、友達をいつもサポートする、素敵な人でした。亡くなる数日前までTwitterで普通につぶやいていました。We will all miss you.

他にも、今週末は感情的になるイベントが続けてあるので、今から少しそわそわしています。いろいろ、思うことがあります。それは、また後日。

まだ1月の11日なので、新年の抱負ハイのようなものにまだとりつかれているのかも知れないけど、今まで大変だったことが、今年になって、ようやく理解できた気がします。

今までは、大変なことが起きると、慌てたり、心配したりしていましたが、今年は、何故か悟りの境地(?)で、これもすぐに去る、と落ち着くことができるのです。

「あなたが虚しく過ごしたきょうという日は、 きのう死んでいったものが、あれほど生きたいと願ったあした」という言葉がありますが、今日がどんなに辛くても、少なくとも私達はまだ生きています。それがようやく理解出来た気がします。

帰宅してメールを見ると、今度プロジェクトを一緒にさせていただく、ある尊敬する方からメールが来ていました。

このプロジェクトは短編映画なのですが、普通の映画のエキストラとは違い、ギャラがでません。そう、ボランティアなのですが、この監督さん、以前お仕事をした時から惚れ込んでしまうくらい尊敬できる人です。まず、エキストラの人物全員に名前を聞いて、名前を実際に覚えてくれます。そして、指示するときは名前で呼ぶ。

それだけです。それだけなのに、惚れましたw

それだけ、そんな簡単な事をしない人が他に多いということでしょう。

なので、数週間前に、「ギャラは出せないけど、○○監督がボランティアで参加してくれる人を探している」というメールが来た時、私はすぐに飛びつきました。いわゆる、ソーシャルカレンシーというのでしょうか。「この人のプロジェクトだったら喜んでボランティアする」と思わせてくれたのです。

通常、エキストラの仕事をするときは、台本もまず見せられませんし、言われたことを指示通りにやるだけです。

今日監督から来たメールでは、これがどういう映画なのか、何故彼が低予算でも自費でこの映画を製作したいと思ったのかが綴られていました。私は、こういう人になりたい。うーん、なれるのだろうか。

人生は短い。だから好きなことをして思いっきり生きます。