A Tale for the Time Being

英語で本を読む事のチャレンジに関しては色々なところで書いていますが、なんだかんだ言って唯一長続きしている趣味でもあります。毎年、年初めには「もっとエクササイズする」とか「家でもっと日本語を使う」とかいう抱負に必ず「◯册以上本を読む」というものが加わるのですが、読んだ本と册数を記録することだけは何故か毎年続いています。

今回読み終えたのはこれ。

A Tale for the Time Being by Ruth Ozeki A Tale for the Time Being by Ruth Ozaki

著者のRuth Ozekiは日系アメリカ人で、数年前に、当時の義理の母から彼女の「My Year of Meats」をプレゼントされたのがきっかけで知りました。アメリカでの牛肉生産のありかたを問うやや政治的な本でしたが、とても面白く読めました。
その後、本好きの友人が、Ruthと友達であることを知り、なんと彼女はここビクトリアからさほど遠くない島に住んでいるということを知りました。

日系人ということで親近感もあったのですが、彼女の新作、A Tale for the Time Beingは有名なブッカー賞にノミネートされたと聞き、これはすぐにでも読まなければと早速買ってきました。

小説家のRuthはある日ビーチを散歩している際に打ち上げられたジップロックバッグを見つける。ゴミだろうと、自宅に持って帰って捨てようと拾うRuth。帰宅してみて開けてみると、中に入っていたのはゴミではなく、キティちゃんのお弁当箱の中にはマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」をカバーにしたノートブックで、中には日本に住む15歳の少女、ナオの日記などが入っていた。。。という話です。

Ruthは日系人なので、少しづつナオの日記を翻訳しながら夫と読み進めて行くのですが、ナオの学校生活、残酷ないじめ、ブルセラオークション、彼女の104歳になる曾祖母、特攻隊で戦死した大叔父、鬱病の父親など、ナオの人生が日記を通して少しづつ浮き彫りになってきます。

その一方で、この日記がどうやって自分の住む島の海辺に流されて来たのか調べようとするRuth。東日本大震災の津波のせいなのか?それとも。。。?

物語はRuthの語りと、ナオの日記の章が交代で進む形になっています。ナオの章にはしょっちゅう日本語が出てきて、注釈がついているのですが、「これは使わないよ〜」という不自然な日本語が出てきて苦笑する場面も多く、今ひとつ入り込めませんでした。また、ナオの日記には、104歳になる曾祖母の人生を書く、と最初に書かれているのですが、結局それが書かれずじまいで残念でした。Ruthの章は、著者自身を主人公にして、夫とのやり取り、小さな島のコミュニティの人々との会話、彼らの性質(ゴシップ好きであるとか、それぞれ秘密の牡蠣取りの浜を知っているとか)などの島での生活の様子は、私が住んでいる州の話、ということを抜きにしても興味深かったです。嵐が来るとすぐに停電になるのでジェネレータは必須であるとか、郵便局が人々の情報交換の場所であるとか。。。とてもそんな辺鄙なところには住めない、と思いつつも、ちょっと住んでみたい気になったりもします。またRuthの作家としての苦悩も正直に書かれていて、会う人会う人に「新作の進み具合、どう?」と聞かれてうんざりするのは、作家でない私でもわかるなあ〜と同情してしまいました。

何世代にも渡って繰り広げられるストーリーは、いくつもの層で出来ています。話が進むにしたがって、絡み合った糸を解くように少しづつナオの日記の背景が見えてきます。最後の方では量子物理学の話がでてきて、ちょっとSFぽくなり、リアリズム小説だと思って読んでいたので違和感のあった私も、「ほう、こう来るか」と気分を変えて読み進めたら、そこまで気にならなかったです。

戦争の残酷さ、いじめの現実、鬱や自殺願望などのメンタルヘルスに関する問題など、心が痛む内容が多いのは事実ですが、禅の教えなどもあり、色々と考えさせてくれる、読み応えのある作品に仕上がっています。

ブッカー賞発表は数日後の10月15日。日系の作家として、是非応援したい本です。