人と比較してしまうとき。

(初出:note 2016年3月3日)

最近、まわりで「人と自分を比べてしまって落ち込んだ。。。」という話を何度か目にしました。就活とか、子育てとか、仕事/夢とか、がんばって成功している人をみると「ああ、なんで私は、、、」って思う人、沢山いるみたいですね。

私も今でも時々そういう負のスパイラルに陥ることがありますが、それでもだいぶ以前に比べたら減ったかな。

ブレネー・ブラウンの言葉で、いつも思い出しては自分に言い聞かせる言葉があります。

“Stay in your own lane. Comparison kills creativity & joy. “

彼女は水泳を日常的にやっている人なのですが、泳いでいる時に隣のレーンの人を気にしだすと、つい速く泳ごうとしてしまったりすると。

自分と他人を比較して、楽しい気分になったことがありますか?他人と自分を比較すると、創造性や喜びまで台無しにしてしまうのですね。

自分のレーンに集中して、自分のレーンで起こっていることに感謝すること。使い古された言葉だけど、自分は自分、他人は他人。

SNSのおかげで友達の成功やリア充の様子などが嫌でも目に入るかも知れませんが、1)SNS上の投稿は100%真実とは限らないですし、(むしろ逆の事が多い)2)私達はこのような友達が努力したり、失敗したり、落ち込んだり悩んだりしている舞台裏を見ていませんよね。私達が見ているのはハイライトの部分だけだということを忘れないで下さい。

あなたは今、あなたのレーンで何をやっていますか?もしかしたら、レーンで立ち止まって、周りを見ることに忙しくて前に一歩も進めていない人もいるかもしれませんね。

まずはその手を伸ばし、水をひとかきして、キックスタートしてみて下さい。あなたのレーンで一番の泳ぎをすることの方が、周りを見ることよりずっと大切だと思いますよ。

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自分自身でいることが、荒野に立ち向かうこと。[1000冊紹介する-010]

ブレネー・ブラウンの最新刊、彼女の4冊目の本、Braving the Wildernessが今月発売され、さっそく購入して読みました。今回の本はそこまで厚くないので、結構さらっと読めます。

Braving the Wildernessとは、どういう意味でしょうか。Wildernessとは荒野や野生という意味ですが、Braveを動詞として使ってあるので「荒野に立ち向かう」などと言った意味になります。

一体どういう内容なのか、ほとんど予習をせずに購入し読み始めたのですが、とりあえずこれまでのおさらいをすると、ブレネーのこれまでの本のテーマは、以下のようになっています。カッコ内は邦題です。

The Gifts of Imperfection (「ネガティブな感情」の魔法)- Be You. 自分自身であれ。

Daring Greatly本当の勇気は「弱さ」を認めること)- Be all in. 全力でやろう。

Rising Strong (立て直す力)- Fall. Get up. Try Again. 倒れたら起き上がってまた挑戦しよう。

というメッセージでした。

それでは今回の4冊目の本は、どんな本なんでしょうか?

ひとことで言うと、Belongingに関する本です。

Belong、とは、何かに属すること。何かの一部になることですよね。クラブの会員になったり、会社の一員になったり。

著者のブレネーは、「何かの一部になっていると感じることは人間にとって不可欠なもの」であると過去の著書にも書いています。学校や部活で仲間にいれてもらえなかったりして辛い思いをした人も少なくないのではと思います。

何かに属しているという感覚は欠くことのできないもの、と信じていたブレネーは、マヤ・アンジェロウのインタビューを見て、ショックを受けます。

マヤ・アンジェロウは有名なアメリカの活動家、詩人、作家、女優ですが、1973年のTVインタビューでこんなことを言っていたそうです。

You are only free when you realize you belong no place – you belong every place – no place at all. The price is high. The reward is great.

自分がどこにも属さないと分かって初めて人は自由になるものです。ー全ての場所に属してーどこにも属さない。代償は高いわ。でも大きな報いがある。

これを初めて聞いた時、ブレネーは「それは違う」「どこにも属さない世界なんて」「彼女は属することのパワーを知らない」と思ったそう。そしてこのあと20年近く、この言葉が引用される度に怒りを覚えるようになったのだとか。

怒りの理由は二つ、一つは、ブレネーが尊敬するマヤ・アンジェロウが自分と正反対の意見を持っていることが許せなかったこと、そして、ブレネー自身にとって、「どこにも属さない」ことが辛い経験であったことです。

子供時代引っ越しを多くしたため、ただでさえどこか一つの学校、クラブ、コミュニティに属することが難しかったというブレネーですが、高校生の時にベアカデッツ(話を簡単にするために、チアリーディングのようなものと考えて下さい)にどうしても入りたかった彼女の辛い体験談が書かれています。両親の仲が悪化している時で、キラキラした衣装に身を包んで、沢山の友達とダンスをすることが、一種の救いのように感じていたブレネーは、これまで何かをこんなに求めたことはないというくらいベアカデッツに入りたかった、と書いています。ベアカデッツの女の子達はなんでも一緒にやり、行動するのでベアカデッツは、まさに「所属感を擬人化したようなものだった」と。

ダンスは得意だったので、転校したばかりの学校で、一人で(まだ一緒に行くほど親しい友達が居なかったため)オーディションに参加したブレネーは、学校について唖然とします。

オーディションに参加した子達は全てメイクをばっちりして、派手な衣装に身を包んでいました。ブレネーと言えば、すっぴんで、黒いレオタードにグレーの短パンをはいていたそう。オーディションには思いっ切りドレスアップして挑むものだと、誰も教えてくれなかったのです。

それでも何とか気を取り直してオーディションを終え、夕方、結果発表のため、祖父母の家に行く途中で家族全員が乗った車で学校に行ったブレネー。

ドキドキしながら結果表を見ると、、、、彼女の番号は乗っていませんでした。合格して喜びの声をあげる友人達をあとに、絶望して車に戻りました。両親は、彼女はに全く一言もかけてくれなかったそうです。沈黙がナイフのように心に刺さったというブレネー。彼女の両親はどちらも若い頃は人気者で、父親はフットボールのキャプテン、母親もチアリーダーだったとか。両親は自分のことを恥じている、と感じたブレネーは、自分はどこにも属さない、そして、ついに、自分の家庭にも居場所がない、と感じたのだそうです。

今振り返って見ると、ブレネーはこれはもしかすると自分で創り出したストーリーだったかもしれない、と書いていますが、もしこのとき、彼女の両親が、オーディションに受からなかったことを慰めてくれて、挑戦しただけでも偉いと言ってくれたら、または(本当はこれが彼女が希望していたことですが)彼女を合格させなかったチームはひどい、あなたは合格する資質がある、と言ってくれていたらーこの話は彼女ののちの人生の軌跡を定めるような話になってはいなかっただろう、と書いています。でも、実際にはそうなってしまった。

他人事なのに、読んでいて胸が痛くなる話ですね。

この話を本に書くことは思った以上に辛かったというブレネー。当時の練習曲をiTunesで聞いて思わず涙してしまったそうですが、それは、チームに入れなかった悔しさというよりも、当時、何が起こっていたのか分からなかった若い自分を慰めてくれる人が居なかったことへの涙だと言います。彼女の両親は当時は娘の痛み、そしてヴァルネラビリティに対応するためのツールもスキルも持ち合わせていませんでした。両親はその後離婚してしまいましたが、幸い、家族で勇気、ヴァルネラビリティ、そして真に何かに属するとはどういうことかを学ぶことができたので、この事件は彼女たちの未来に悪影響を及ぼすことはなかったと言います。

家族の中に居場所がないと感じることは最も危険な痛みで、これは3つの結果につながるとのこと:

1.ずっと傷つきつづけ、その心の痛みを麻痺させるか、または他人にその痛みを負わせてしまう

2.痛みを否定し、否定することで周りの人や子供達に引き継いでしまう

3.痛みを自分のものとして認める勇気を見つけ、自分や他人に対する思いやりを育て、世間で起こっている痛みをユニークな目でみつけることができる

2013年にブレネーはオプラ・ウィンフリーのSuer Soul Sundayという番組に出演することになります。そして同じスタジオに、長年尊敬してきたマヤ・アンジェロウが居る、会ってみたいか、とオプラに聞かれるのです。

この出会いのシーンはとても感動的なので、ネタバレしないでおきますので、本を読んでみるまでのお楽しみ。

そしてさらにそれから数ヶ月後、講演活動をしていく中で様々な出来事があり、やはり「自分はどこにも属していない、居場所がないのだ」とがっかりするブレネーは、ようやくアンジェロウの言葉の本当に意味に気が付くのです。

それでは真に属する(true belonging)とはどういうことでしょうか?

英語でfit inという表現がありますが、これは日本語でいう「迎合」に近いと思います。思春期にブレネーのような経験をした人は沢山いると思うのですが(私も含め)、どこか、何かに属したいがために自分を曲げたり取り繕ったりして迎合してしまう人も多いでしょう。でも、ブレネーは迎合することは属することの全く正反対だと言います。

自分に属する、ということは、誰がなんと言おうと自分の考えに忠実であること。それができてこそ、本当に自由になれるし、どこにも属さない。まるで一種の逆説のようで、最初読んだ時は私も「??」という感じでしたが、何度も読み返してみると、確かにその通りだと思いました。

自分の意見に忠実であれば、世間から非難されたり、後ろ指をさされることもあるかも知れません。ブレネーの夫のスティーブは小児科医で、抗生物質を処方しないことで親から非難を受けたりすることもあるそうですが、彼自身は「それはこの子供に必要ないものなので、誰に非難されても自分の意見を突き通す」というたとえ話をしています。

詩や文学、音楽の世界で、野生というものは広く恐ろしく危険な環境としてよく使われるメタファーです。ブレネーはこの野生/荒野/大自然というメタファーは、自分の考えに忠実であることと同じであると言います。それは孤独で、感情的で、スピリチュアルで、広大なものだからです。完全に自分に属しているということは荒野に一人で立ち向かうことと同じなのです。恐ろしく、危険な場所で、結果をコントロールできない環境ですが、この野生の場所こそが、もっとも勇敢で、神聖な場所と言えるでしょう。

真に属するとは自分を変えることではなく、自分自身でいること。 

この本では、それでは勇敢に荒野に向かっていくために、何か必要なのかを一つづつ説明していきます。2016年の大統領選以来、波乱を極めるアメリカと世界の社会の中をいかにして進んでいくか。3章以降でその方法が詳しく説明されています。

私自身は、これまで彼女の本を読んできた経験から、自分自身をさらけだすこと(ヴァルネラブルである)こと、勇気を出して挑戦することには少しは慣れてきたと思っていましたが、この本では、自分1人に属するには、他人とも繋がらなければいけない、と説かれていて、これにはもう少し練習が必要なようです。

アメリカの大統領選以来、私達は自分と似た意見の人達とばかり固まるようになってしまいました。研究によると、そのように自分達を分けてしまうと寂しさが増えてしまう傾向にあるそうです。また、自分の味方でないならそれはすなわち敵である、というような偽の二極論を展開してしまいがちです。

ブレネーは、そのような二極論を止め、自分と意見の違う人の話をしっかり聞き、同意できない場合でも礼儀正しく接することの大切さを説いています。

この本の後半で、特に感動的なのが、私達は実は他人と密接に繋がっているのだ、そしてその繋がりを強めることによって、荒野に立ち向かうことができるのだと説かれている部分です。

私自身も、1人で公共の場にいる際、ついスマホだけをのぞいてしまい、タクシーの運転手さんと話をしなかったりすることがあります。昨今では、マンションのご近所同士でも殆ど話をしないことなどが普通になってしまっていますよね。

ブレネーは「人は近づくと嫌いになりにくいもの。もっと人に近づこう。」と言っています。どの政党を支持するかによって「共和党支持者はバカばっかり」などと言ってしまうこともありますが、1人1人をしっかり見ていくと、言うまでもないことですがみんなが悪人やバカな訳はありません。1人1人に近づき,その人を理解することが大切です。また、知らない人と手を繋ごう。という章では、スポーツや教会などでみんなが一体になることのパワーを説明し、ハリー・ポッターの映画を見て感動した人達が劇場で示したジェスチャーや、チャレンジャー爆発事故の際、ハイウェイで車を停めた人達など、集合体として、感動や哀しみを分かち合った時の様子がかかれています。

「自分に属すること」が荒野に立ち向かっていくことというのは、最初はなかなか理解しがたいコンセプトかも知れませんが、非常に大切なことだと思いました。

日本語訳はおそらく来年あたりに出版されるかと思いますが、それまで、この本について語ってみたいと言う方は、ぜひFacebookのグループへもどうぞ。

カナダに住む日本人移住者へのサービス

私が住んでいるビクトリアにはビクトリア日系文化協会(Victoria Nikkei Cultural Society-VNCS)という団体があり、私はそこで理事の1人としてボランティアしていますが、先週末、VNCSがメンバーとして加入している国レベルの団体、日系カナダ人協会(National Association of Japanese Canadians-NAJC)のAGMとカンファレンスにビクトリア代表として出席するため、オタワまで行ってきました。 2015年にはこのイベントをビクトリアで開催し、その時のことはこちらのブログに詳しく書いています

2011年の統計によれば、カナダに住んでいる日系人(日本人、日系カナダ人を含め、バックグラウンドが日本だと言う人)は10万人程度いるのだそうで、そのうち移民は2万5千人、子供が3万人で、日本からやってきたいわゆる「新移住者」は5万5千人、全体の半分以上を占めていますが、NAJCの名前を聞いたことがある人は少ないかも知れません。NAJCはこれまでは主に「日系カナダ人」をサポートする団体として知られています。

カナダには19世紀の終わりごろから日本からの移民が増え、「一世」と呼ばれていますが、これらの人々の多くは、カナダで出稼ぎをして日本に帰るのではなく、カナダ人としてカナダに骨を埋めるためやって来た人達です。第二次世界大戦中、真珠湾攻撃の前後から、日本人は敵国の人種と見なされ、1942年、ブリティッシュ・コロンビア州西海岸に住んでいた日系人は、家を退去するよう命令され、BC州内部の小さなコミュニティに強制的に移動させられました。家や車、漁船などの資産はそのまま置いていくように指示され、殆どが没収され、強制収容そのものの資金を作るために所有者の許可なく売り払われました。

このあたりの歴史は日本の学校でも学ばないので私もカナダに来るまで殆ど知らなかったことです。(詳しい内容は日系博物館のサイトをどうぞ。)

1998年にカナダに移住してきて以来、日本人の友達は少しづつ増えて行き、ビクトリアにあるVNCSで日本の文化を伝える活動をしていることを知り、会員になり、数年前からは理事として参加しています。日系文化協会(VNCS)の会員の殆どは日系カナダ人またはカナダ人で、私のような日本人移民は三割程度でしょうか。会員になるには日本人や日系人でなければいけないという決まりもないので、日本の文化に興味のある人なら誰でも参加できます。

NAJCでは、日系カナダ人の高齢化が進み、その人口も減ってくると共にそれに反比例する形で日本からの移住者が増えてくることを鑑みて、移住者へのサービスを積極的に行うことを現在思索中です。

オタワでのカンファレンスでは、新移住者をテーマにしたパネルディスカッションがあり、カールトン大学助教授の朝倉健太さんと主婦のニワノマリコさんからそれぞれお話を伺いました。朝倉さんからは、LGBTQの若者が日本の移住者の家庭でどのように感じているかなど非常に興味深いお話を伺うことができました。ニワノさんは、お子さんの居る主婦という立場から、カナダに来たばかりの頃、日本語でなかなか情報が得られなかったこと、今後の子供達の日本語力に関してなどご自身の体験をお話いただきました。

その後、日本語・英語両方にて、「NAJCが移住者に関して何ができるのか?」というテーマでのディスカッションも行われました。私は英語のグループにたまたま入りましたが、日本人移住者と日系カナダ人の間に溝を感じる人が多いことや、移住者の立場から、あったら嬉しいサービスなどについて様々なディスカッションが繰り広げられました。

私自身は移住者ですがNAJCやVNCSのような日系団体に積極的に関わっていますが、日本人移住者は日本語が通じる日本人のグループ(お母さんのグループや、趣味のグループなど)で集まり、特に日系人と交わる必要性を感じない方も多いと思います。全体的な感情としては、日系カナダ人のみなさんやNAJCの様な団体は、日本人移住者のみなさんと交流したい、サービスを提供したいと思っている人が大半です。

あくまで私個人の意見ですが、私はこのディスカッションでは「日本人移住者は日系人と交流する必要性を感じていないので、移住者にサービスを提供したり交流したければ、移住者がそうすることのメリットまたはバリュー(価値)を提供しなければいけない」と伝えました。

移住者のパネルディスカッションでお話下さったマリコさんは、「来たばっかりのころは英語ができなかったので、日本語での生活サポートがあると嬉しい」と仰っていました。

ただ、英語ができない人への日本語でのサポートは、オンラインはもちろん、オフラインでも、大きな都市ではすでに提供されています。バンクーバーには隣組という日本人のサポート団体がありますし、トロントにはジャパニーズ・ソーシャル・サービスがあり、カウンセリングや情報提供を行っています。

ビクトリアにはソーシャルサービスの団体はありませんが、クチコミなどで様々な情報を得ることができます。VNCSでもメールを頂ければできる限りのお手伝いはしています。

日本人移住者が必要とするサービスとしては、主に以下のものが挙げられました。

ー子供に日本語を教えるサービス(日本語学校など:都市によっては学校がある)

ー困った時の相談先、またはリスト(日本語の話せるドクターや弁護士など)

ー日本語でのカウンセリング。メンタルヘルス・LGBTQ・家庭法関連(私もこれは仕事でよく問い合わせが来ますが、近年日本人移住者の離婚が増えてきています。また日本人移住者の家庭内暴力(DV)の件数も増えているそうです。)

ー高齢者のケア (バンクーバーやトロントには日本語でケアできるシニアホームがありますが、ビクトリアのような小さなコミュニティにはありません。日本人の介護士さんも少ないです。)

また、移住者がカナダに来てどのくらいなのか、自分達や家族がどのくらいの年齢なのかによってこれらの問題は移り変わってきますね。私個人の場合は、子供達は大きいので、プレイグループのようなものは必要ありませんが、コミュニティの日系のお年寄りのケアができたらな、、、と思っています。もちろん、自分がさらに高齢になったら自分自身もケアが必要になってくるでしょう。

NAJCでは、これらの情報を元に、新移住者のための委員会を設立することになり、私もメンバーとして参加する予定です。「こんなサービスが欲しい」などというご意見があれば、ぜひメールでお知らせ下さい。

みんなちがって、みんないい

Janicaさんという方は全く存じ上げないのですが、彼女のブログをコグレさんがシェアされていて読ませていただきました。

私自身は生粋の日本人ですが、カナダに移住してそろそろ20年。カナダで住んだ年数のほうが日本で育った年数をそろそろ越えようとしています。

私の二人の息子は、父親がカナダ人の、いわゆる「ハーフ」です。「ハーフ」という言葉はあまり好きではありませんが、日本に行くと必ずそう呼ばれます。

Janicaさんのブログでは、彼女のお子さん達が見た目は白人だけど、産まれも育ちも日本で、見かけ以外は日本人の子供と変わらないそう。それでも、見かけが金髪で青い目の外国人だから、いじめにあうことが時々あるとのこと。。。

子供って大人のようなフィルターがなく,思ったことをなんでもすぐに口にしてしまいますよね。そして子供は時にとても残酷です。

だからこそ、その悪気のない言葉で他の人達を無意味に傷つけてしまう前に、家庭でお話してみて下さい、という内容でした。

これを読むと、こういった差別が起こるのは一見日本だけだと思われるかもしれませんが、そうではありません。

私の次男はもうすぐ9歳です。私達はカナダ西海岸の自然が多く比較的リベラルな街に住んでいます。田舎ですが、息子が「ハーフ」だからといっていじめられたことは一度もありません。

ですが、逆に、ここはとても白人の多い街です。

次男はカナダで産まれカナダで育ち、日本には赤ちゃんの時に一度行っただけなので、自分が「半分日本人」という意識がありません。大学生の長男は、日本に遊びに行った記憶などもあるので、彼の中では日本人というアイデンティティは次男に比べて強いようですが、次男のほうはほぼ100%カナダ人として生活しています。私も彼とは99%英語で話しています。

彼には自分がマイノリティだという意識がないので、下手をすると白人のような振る舞いをしてしまうのではないか、というのはかねてから私も気をつけていたことでした。

先日は「マミー、忍者って韓国でしょ?」と言われ、日本人の親としての教育がなっていないと自分を戒めたところでしたが。。。

(「侍も忍者も日本よ!忘れないように!」)

私は仕事でホームステイの斡旋をしていますが、普段のお客様は日本の生徒さんばかりです。ですが先日、中国系カナダ人の友人から相談されて、7歳と9歳の中国人の男の子二人のホームステイを探してくれないか、という話が来ました。彼等がビクトリアに到着した日、同年代だしせっかくだから紹介しよう、と次男も出迎えに連れて行きました。

中国人の男の子達はまったく英語はできず、もちろんうちの次男も中国語はできません。でも、近くの公園に連れていくと言葉が通じなくてもすぐに打ち解けて一緒に遊んでいました。

ホストファミリーに男の子達を託したあと、次男に車の中で「何して遊んだの?」と聞くと「Hide & Seek!(かくれんぼ)」と言います。「Did they know what “Hide & Seek” was?」と聞くと,ハイドアンドシークという言葉自体は知らなかったけど、ジェスチャーで説明したらどういう遊びなのか分かったそう。考えてみると、呼び名こそ言語によって様々かと思いますが、恐らく世界共通の遊びですよね。

言葉の通じない中国からのお友達ですが、「マインクラフト」というと顔がパッと明るくなるのがすごい。さすが世界のマインクラフト。うちに招待して、一緒にゲームも楽しみました。

カナダで英語しか知らずに(次男はフレンチイマージョンに通っているのでフランス語も勉強していますが、普段の会話はほぼ100%英語です)白人が大多数の街で育ってきている次男に、「世の中には自分と全く違う世界で生活している人がいるのだ」ということを少しでも理解してもらえたようで、良い経験になったと思います。

そして先日のこと。

私は離婚して親権を前夫とシェアしているので、次男は1週間おきに私の家とお父さんの家を行ったり来たりするのですが(長男は大学生なので好きな時に遊びに来ます)お父さんの家で1週間を過ごした次男が戻ってきて、何をしたのか話してくれました。前夫は私同様再婚しているので、次男にはステップマザー(もう一人のお母さん)がいるのですが、そちらのおじいさんと一緒にカナダの先住民、ファーストネーションズの方が多く住んでいるエリアに行ってきた、ととても興奮して話してくれました。

カナダには600以上のファーストネーションズの部族がありますが、各部族の長は「チーフ」と呼ばれています。次男のステップ・グランパが、先住民の方々と関わる仕事をしているらしく、ファーストネーションズの知り合いの人達に沢山会ってきたそう。「マミー、僕、チーフにも会ったんだよ!」と興奮気味に話す息子。私も個人的に知り合いのチーフなどはいませんので、すごいねと褒めてあげました。次男はとても得意そうですw

カナダでは、アメリカの黒人差別同様、いやそれよりもひどいかもしれませんが、ファーストネーションズに対する過去そして現在の差別が社会問題になっています。

私と夫は、肌の色、どの国、文化で育ったか、性的嗜好などで差別をすることはあり得ないという価値観が一致しているので、次男にも常にニュースなどを見るたび話をしています。

少し前までは、女装をする男性などを見るとくすくす笑っていた次男でしたが、先月のプライドのイベントなどにも参加して、「誰がどんな恰好をしてもその人が幸せなら私達が関与することではない」と教えています。

先のJanicaさんのブログにも書かれていましたが、子供は、見慣れていないから差別を(本人には差別という意識がなくても)してしまうのではと思います。外国人が日本の浴衣を着たり日本文化の習い事をするのは変だ、というのは親に教えられてそう言っているのではなく、実際にそういう人が周りにいないからだと思うのです。

とはいっても、世の中には様々は「普通と違う」人達がいますので、全部を説明するのは難しいですね。「専業主夫のお父さん」「外で仕事をしているお母さん」「日本語しか話せない白人」「本当は男の子なのに女の子の恰好をする子」「お母さんが二人いる家庭」「みかけは日本人なのに英語しか話せない子」「学校に行かない子」などなど。。。

だから普段から子供達には「違っているのは変」ではなく、「違っているのは素敵、面白い」と教えてあげるのはどうでしょうか。

息子が「この子達、英語全然しゃべれない」と言ってきたら「彼らは中国語を話すのよ、すごいね」

「ファーストネーションズのチーフに会ってきた」「すごい名誉じゃない。彼等はすごく物知りなのよ」

「○○ちゃんのお姉ちゃん、本当は男の子なんだって」「そうなの。自分らしく生きている子なのね。」

ベタかもしれませんが、みんなちがって、みんないい、を普段から家庭で実践していって、様々な価値観を尊重できる子になってくれたらというのは私の親としての願いです。

トラウマからいかにして立ち直るか—Option B [1000冊紹介する:009]

Facebook COOのシェリル・サンドバーグは女性がもっと積極的に仕事に進出することを薦めて書いた 『Lean In 』で有名ですが、2015年に夫のデイビッド・ゴールドバーグ氏を突然亡くしたことでも大きなニュースになりました。今日紹介する本『Option B』にはその夫の死後、彼女がいかにして強さを—いえ、それは「強さ」ではないかもしれませんが—いかにして最愛の伴侶の死という大きなトラウマから立ち直っていったかが書かれています。

タイトルの意味はシェリルのFacebookポストに書かれていました。デイビッドが亡くなったあと、父親が参加するイベントに、友人が代わりに参加してくれるよう予定を立てていたのですが、ふと” But I want Dave. I want Option A” と泣く彼女に“Option A is not available. So let’s just kick the shit out of option B.” と彼が言ったことからつけたタイトルだそう。

この本は彼女の親しい友人で心理学者のアダム・グラント(著書に”Give and Take”など)との共著です。私のお気に入りのポッドキャストにOn Beingという番組がありますが、この番組にシェリルとアダムがゲストで呼ばれたエピソードもここにシェアしますね。シェリルとアダムはアダムがデイビッドが当時CEOだった会社、サーベイモンキーで講演をして以来の友人だそうですが、デイビッドが亡くなった際、すぐに飛行機で駆けつけたのもアダムだったそう。

死や病気などの辛い出来事があった場合、 ”It’s going to be OK(きっと大丈夫)”といったあいまいな慰め方をしてくる人が多い中、「若い時に親を亡くした子供達でも立ち直って幸せな大人になっているという例は沢山ある」と、データや研究に基づいた意見をアダムから聞くことにどれだけ救われたか、シェリルはOn Beingでのインタビューでも語っていました。

シェリルは夫の死後30日を過ぎた時に投稿したFacebookポストにも触れています。シェリルは彼女の宗教であるユダヤ教では配偶者の裳に服す期間は30日なのに、30日経っても全く哀しみが癒えないことに絶望してこのFacebookポストを書き、「こんなの、絶対に投稿できない」と決めて最初はそのまま寝てしまったらしいのですが、翌日「これ以上状況が悪くなるわけもない」と思い直して投稿し、多くの人々の共感を呼び、これは4千万回以上もシェアされました。

誰かが大切な人を亡くしたとき、癌などの深刻な病気になったとき。人は間違ったことを言ってしまうのではないかということを恐れて、結局なにも言わないことが多いと思います。シェリルも、夫が亡くなった後、誰もデイブのことを口にしなくなったことを”Elephant in the room(見て見ぬふりをされている問題”)と言っています。かといって、 “How are you?” と普通に聞かれても、「私の夫は死んでしまったのよ。元気なわけないじゃない!」と叫びたくなったというシェリル。でも、皆が間違ったことを言うことや、傷つけることを恐れて大切なことを口にしなくなった時、問題の当事者はさらに傷つくのだとシェリルは言います。病気で息子を亡くした作家のMitch Carmody は“Our child dies a second time when no one speaks their name人が私達の子供の名前を口にしなくなった時、彼等はもう一度死ぬことになる” (P33) と言っています。愛する人を亡くした人達は、彼等のことをいつまでも覚えていたいのですよね。

そして実際にトラウマを経験した人には代わりのあいさつとしてHow are you today? と聞くのはどうだろうか、そして今では、辛いことが起こった人には、何も言わないのではなく、”I know you are suffering, I am here.”と言うようになったと話していて、実際の生活でとても役に立つエピソードだと思いました。

また心理学者のマーティン・セリグマンによると、愛する人の死やレイプなど、大きなトラウマを経験した際、3つのPが立ち直りを防いでしまうのだそうです。その3つのPとは:

(1) Personalization—トラウマの元となった出来事は自分のせいだという考え

(2) Pervasiveness—その出来事が自分の人生の全ての面に影響するという考え

(3) Permanence—出来事の影響は永遠に続くという考え

だそうで、これをいかにして取り除くかがカギとなっているそうで、これもとても役に立つ情報でした。

アダムは心理学者なので、シェリルが「最愛の人が亡くなってしまって、もうこれから一生幸せなんて感じることはない」と打ち明けた際も、アダムは「それはPermanence という罠だよ。それにデイビッドが死んだのは自分のせいだと思うのもPesronarization という罠。罠を避けて、君が回復しないと、君の子供達も絶対に回復しない」と言われ、子供達が立ち直るためなら何だってする、と積極的に立ち直りへの道を歩むようになったのだとか。またこのような研究に基づく証拠を示してくれたことでとても心強かった、と話しています。

また、トラウマから立ち直る際役に立ったことが、意外にも「最悪の状況を想定する」ことだそうで、シェリルは「愛する夫を亡くして、これ以上ひどいことなんてあり得ない」と思っていたものの、アダムに「それよりひどいことはあり得る。例えばデイブが発作を起こした時、二人の子供を乗せて車を運転していたらどうなっていた?」と聞かれ、瞬時に「私にはまだ子供達がいる。私はなんてラッキーなんだ」というGratitude(感謝の気持ち)が湧いてきたといいます。最悪の状況を想定することは、一見逆効果のように見えますが、実はこれが、立ち直りに必要な感謝の気持ちを産むものなんですね。

それにしても、この本のテーマが「いかにしてトラウマから立ち直るか」なので当たり前といえば当たり前なのですが、この本には辛い経験をした人達が沢山でてきます。レイプの犠牲者、息子を亡くした親、二人の子供を乳母に殺された親。。。それぞれの状況を読む度に胸が痛みますが、みな、辛い経験を糧にして立ち直った人ばかりで、希望をもらえます。

トラウマを経験した人にどう接するか、の他にも、トラウマを経験したあとそこから学んで成長することは可能なのか?というトピックにも触れられています。英語ではPost-Traumatic Growthとなっていますが、このセクションでも、多くの辛い経験を経てさらに成長した人達の話に、きっとインスパイアされるでことでしょう。

とても感動的だったのが、家族でいつも遊んでいたボードゲームを思い切って子供達とプレイすることにした話や、デイブが好きだったGame of ThronesのTV番組を見るようになった、というくだり。デイブが好きだったものをいつまでも避けているのではなくWe take it backと宣言して、彼が好きだったものをもう一度楽しむ姿に感動しました。そして、喜びを感じることに罪悪感をもたないこと。サバイバーズギルトというのはよく知られている心理学用語ですが、デイブの死後、嬉しいこと、楽しいことを感じる許可を自分に与え、喜びを感じることに罪悪感を持たないこと、そして、その日あった嬉しいことや感謝することを寝る前にメモするようになったとも書かれていました。

最後に、おそらくこの本の中で私が個人的にもっともインスパイアされた部分は、老いていくことは生きている私達だけにもたらされた特権であるということ。

シェリルは今まで、誕生日が来る度に、年取るのは嫌だな、とか、誕生日なんてたいしたことじゃない、と特に何もせずに過ごしてきたらしいのですが、デイブが50歳を目前にして亡くなった今、年を取るということがなんと恵まれたことなのか実感したとシェリルは言います。We either grow old or we don’t. 私も、1日でも長く生きれることに感謝したいと思いました。

この本に出てくる多くの人がトラウマから立ち直る姿に、きっと勇気をもらえるはずです。

騎士団長殺し[1000冊紹介する:008]


13歳の時に「ノルウェイの森」を読んで以来ずっと村上春樹の本を読み続けています。いわゆる「ハルキスト」ではありませんが、日本の作家で毎回新作が出るたびに読み続けるのは彼だけです。

いつもは新作がでるとすぐにアマゾンで購入してカナダまで取り寄せるのですが、今回に限りタイミングを逃し、そのうち読まねば、と思っていたらすでに3ヶ月以上経っていました。幸いビクトリア在住のお友達が親切にも貸してくれたので、一気に読みました。
「騎士団長殺し」
読む前はタイトルの意味もよくわからなかったのですが、読んでみるとこのタイトルも各部につけられたサブタイトル「顕れるイデア編」「遷ろうメタファー編」も、読んでみるとまさにそのままなんだけど、渋すぎる。良い!

(以下ネタバレありますのでご注意)

SNSやGoodreadsのレビューにも書きましたが、これは典型的な春樹ワールドでした。主人公は肖像画を描くことを生業にする画家で、離婚のため、友人の父親である、とある有名画家の家に一時的に身を寄せるところから話は始まります。妻に去られ、一人で静かに暮らす様子は世界観としては「ねじまき鳥クロニクル」、また後半の冒険部分では私が大好きな「ダンス・ダンス・ダンス」や「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」(この二つは私の中で村上作品のトップ2です)を彷彿とさせます。

春樹ワールドにおなじみの「美少女」「井戸」「恐ろしくチャーミングで裕福な男」「物が無くなる・人が消える」「壁抜け」「孤独」「音楽」「料理」「歴史」などがふんだんに盛り込まれていて読み進めながら「キタ−!」とワクワクしながら一気に読んでしまいました。

アンチ春樹の人はこういうところが嫌いなんでしょうけど、、、私は逆にそれが彼のスタイルだと思っているので、逆にないと面白くない。登場人物の会話も、「誰も『あるいは』とか普段の会話で使わないっしょ」と、ツッコミながら読むのが逆に面白いという。

ストーリーの流れとしては、キャラクターや設定が変わっているだけで、著者が意図したことなのかどうかはわかりませんが結局は過去作品と同じような気がしました。平和な生活→妻に去られる→一人→不思議なものを発見して話が展開。。。という。

有名画家の家に移り住んだある日、主人公は屋根裏部屋をみつけ、そこに隠されていた「騎士団長殺し」という絵を発見して、そこからどんどんと不思議な話が始まっていきます。

今までと全く違う村上作品を期待していた人や、過去2作「女のいない男達」や「色彩を持たない多崎つくる」のような本を期待していた人はがっかりするかもしれませんが、私は、「これっていつものパターンだよね」と思いつつも、そこまで気になりませんでした。思うんですが、世間の人って結局同じものの繰り返しが好きなんじゃないかなと思うんですよね。だって、Wes Andersonの映画とか、つまりは決まったスタイルを保った同じような映画ですし。

ただパターンが過去の作品に似てくるとつい先を予測してしまうというのは困りました。「この人絶対怪しい」とか「この人死にそうだな。。。」とか色々考えてしまいましたね。それも読書の楽しみのひとつなのかもしれませんが。

もちろん不思議なことも沢山起こります。起こるに決まってます。この「不思議系」で村上作品の好き嫌いは分かれるようですが。。。

後半のクライマックスのシーンでは、「ハードボイルド・ワンダーランド」の「やみくろ」を思い出しました。(しかしあの作品は今でも傑作だと思う)

最後のオチが個人的にはうーん、もう一踏ん張り欲しかった、という感じでしたが、これってもしかして「ねじまき鳥」みたいに後で3部が出たりするんでしょうかね?第2部の最後は(第2部終わり)としか書かれてないし。回収されない伏線や説明されなかった部分がいくつかあって、そのあたりが気になりましたが、全体としては楽しめたのでよしとします。読んだ方、ぜひコメントで感想シェアして下さい。

信じることと確信の違い

*今年の始めに英語ブログの方に書いたものを、アップデートして日本語でまとめたものです。英語版はこちら

毎年、年の始めには3つのキーワードを設定することが習慣になっています。2017年の私の3つの言葉は「Create -創造」「Joy-喜び」そして 「Faith – 信じること」です。

Faithという英単語はよく「信仰」と訳され、もちろんそういう意味もあるのですが、私は特にひとつの宗教を信仰しているわけではないので、ここでは「人や物事を信じること」と捉えています。

前回のブログにも書きましたが、最近とてもストレスフルな時期を過ごしました。この先一体どうなってしまうんだろう?というストレスで夜も眠れない日が続きましたが、最終的には何とか解決し、とりあえず最悪の状況は避けることができました。

こういった「辛い状況」を体験するたびにいつも思い出すフレーズがあります。

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想像上の恐怖

数ヶ月に一度やってくるこのFace Downモーメント。鬱とは違い、理由ははっきりしていることがほとんどです。仕事が上手くいかないとき、誰かとコミュニケーションが上手くいかず気まずくなってしまった時、プロジェクトが失敗しそうになったとき。。。

気分がどよーんと落ち込み、何もする気が出ないくせに、心臓はバクバク言っています。まさに、ストレスアウトしている状態。何かしなくちゃと分かっているのに、体が固まってしまい、何もできないのです。

この”Face Down Moment”に関しては過去に何度も書いています。メンタルヘルス的にはさいわい特に問題のない私でもこの「どん底」状態には何度も陥っていることから、これはもう、「生きている限り避けられない、時々やってくる状態」なのだな、とすこーしづつ、本当に少しづつ、学んできました。生きている限り、一生何も起こらずに平和に生活していけたら、なんと素敵なことか。でも、きっとすごく退屈な気もします。

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ブレネー・ブラウンのコースのビデオが無料配信

去年、ブレネーの開催するLiving Brave Semesterというオンラインコースを取ったことは、このブログにも書きました

次のCourageWorks(ブレネー・ブラウン主催のオンラインコース)のコースは、4月からはじまるDaring Greatlyで、人生において勇敢に立ち向かっていくとは一体どういうことなのかを学んでいきます。

CourageWorksのサイトにて、一部のレッスンビデオが無料で公開されていますので、簡単に説明しますね。

この一連のビデオで、ブレネーは「ヴァルネラビリティに関する迷信」を説明しています。

Lesson Video One: Vulnerability = Courage

ブレネーの著書においてもっとも重要なキーワードが「ヴァルネラビリティ」です。日本語では「脆弱性」や「もろさ」、または「弱さ」と訳されますが、「ヴァルネラビリティとは『弱さ』?」のブログに書いたように、このビデオでも、ブレネーはヴァルネラビリティは弱さではない、逆に、「結果を全くコントロールできないにも関わらず立ち向かい、姿を表し、自分を見せる勇気」であると説いています。

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混血人種の骨髄移植適合の難しさを描いたドキュメンタリー、Mixed Match

ビクトリア映画祭で日本の映画、または日系フィルムメーカーの映画が観れるということは先日ブログに書きましたが、今年最初の映画祭の作品を昨夜観てきました。

フィルムメーカーでアニメーターのJeff Chiba Stearnsさんは、バンクーバー在住の日系カナダ人。2011年にOne Big Hapa Familyという作品でハーフや混血を示すハワイのスラングHapaという呼び名を使って、日系だったために戦時中強制的に送還された祖父母達の話や、世界中に広がりつつある国際結婚とその結果増え続ける混血の子ども達、そして「君は、何?」と問いかけた時の子ども達の答えなどを通して見るアイデンティティの問題などを綴ったドキュメンタリーでビクトリア映画祭に参加された際に初めてお会いしましたが、今回新しい作品、Mixed Matchで再度ビクトリアに来て下さいました。

Mixed Matchはひとことで言うと骨髄移植の話です。

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