プライドで教えられたこと

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先日、久しぶりに会う友人と一緒に散歩に行きました。あまりにも話に熱中していたため、写真も撮らなかったのですが、うちの近所にあるガバメントハウスという庭園内を散歩しながらいろんな話をしました。

いつしか話は先日彼女がFacebookに載せたある投稿の話に。彼女は最近、別離、死、病気など自分の友人の周りで悲しいニュースが多く、心を痛めている、と書きました。でも、彼女自身はとても充実して幸せな生活を送っているそうなのです。そして、彼女は自分が幸せであることに一瞬罪悪感を感じてしまった、と書いていました。周りにはこんなに沢山つらい思いをしている人がいるのに、何故私だけが幸せなのか?

私にもそういうことは時々あるのでとても共感できました。二人で再度そのことについて話してみて、つらい、悲しいことを経験している人にとっては、自分が幸せで、リラックスして、現状に満足していることが救いになるのではないか、だから罪悪感など持たずに自分らしくしていればいいんだよ、というところで二人とも納得しました。

その後彼女が「でも、あの投稿をFacebookに載せたあと、いろんな人からメッセージが来たのよ。それも結構親しい人達から。一人の友人なんて『あなたがそんなにいろんなことを考えて、背負ってしまうなら、もうあなたに正直に私の気持ちを打ち明けたりできない気がする』って言われちゃった。」と言いました。

そして彼女は「人が自分のことをどう思ってるか、本当に全く気にしないで生きて行けたら、どんなに自由だろうなって思うの」と言いました。

巷には、この「他人の目を気にしないで自由に生きる」というスローガンがあふれていますが、これがいかに難しいか。特に日本のようなConventionalな社会ではそうですね。他人を見て批評、批判する文化が特に顕著だと思います。

Pride2015

6月末から7月始めは世界中でLGBTのイベント、プライドが開催されますが、ビクトリアも例外でなく、パレードと一般向けのイベントが先日開催されました。パレードは何度も見たことがあるのですが、広い公園で行われたイベントには今年初めて参加しました。入場料などない無料イベントで、二つのステージでのコンサート、子供が遊べるエリア、虹色の風船や帽子などを無料で配っていたり、沢山のブースでは食べ物はもちろんLGBTに関する情報提供、サポート団体、虹色グッズ販売のお店、ペットグッズのお店(犬を連れた人が本当に沢山いました)などあり、まさにコミュニティイベント。プライドというのはもちろんLGBTの人達が隠れたり恥ずかしがったりせず、誇りを持って生きよう、というイベントなのですが、これはもうLGBTの人達以外にも通じるメッセージだな、と実感しました。私自身はLGBTに関係ない一人のストレートの女性ですが、それでも自分であることに誇りをもつことの大切さを今回のイベントで教えられた気分です。

「自分らしくあることに誇りを持つ」「他人の目を気にしない」というのはヨガと同じく、日々積み重ねていく練習だと思うのです。今回の友人との話と、プライドのイベントで、再度そのことを思い出しました。

最近、とても信用、尊敬していた人が実は全く嘘の人生を送っていることがわかり、かなりショックだったのですが、そういうのも、「自分らしく生きれていない」人が陥ってしまう悲しい罠なのでは、、、と思います。

「他人の目を気にしない」練習、私と一緒に再開しませんか?