静かな感動をもたらす「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」

子供のミドルネームに春樹とつけたくらいのファンの私ですので、もちろん、村上春樹の最新作、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は発売前から予約して購入しました。到着後すぐに読み終わったのですが、何度か読み返したりしていたので感想が遅くなってしまいました。

(ネタバレはしていませんが、作品中のいくつかのエピソードに触れていますので、まだ読んでいない方はご注意を。)

ストーリーの軸は主人公、多崎つくると彼の高校時代の親友たち4人の話。最初、タイトルを聞いた時「なんて訳わからんタイトルなんだ!」と思いましたが、ちゃんと本を読めば意味はそのままです。高校時代の仲良し5人組のうち4人の名前には、赤、青、黒、白と名字に色が入っていたのですが、つくるの名字には色がなく、よって「色彩を持たない多崎つくる」なんですね。

あらすじを簡単に説明すると、つくるは高校を卒業した後、一人だけ地元の名古屋を離れて東京の大学へ進学。しかし彼が大学2年のある日、親友たちから二度と会いたく無い、口もききたく無いと通告される。全く理由も明かされないまま、一方的に友情を断ち切られたつくるは傷つきながらも社会人になり、駅を造る仕事をし、それなりに不満の無い人生を送っていた。そんなつくるに、ガールフレンドの沙羅は、何故そんなことになったのか自分で答えを見つけるべきだと提案する。。。というお話。

村上春樹の前作「1Q84」に比べると、ストーリーはかなり普通ぽく、「国境の南、太陽の西 」に雰囲気が似てるなと思いました。

沙羅はつくるの高校生の時の話を聞いて、彼が4人の親友からグループを追放されたことを知り、何故彼がその理由を突き詰めて聞かなかったのか尋ねます。

「なにも真実を知りたくないと言うんじゃない。でも今となっては、そんなことは忘れ去ってしまった方がいいような気がするんだ。ずっと昔に起こったことだし、既に深いところに沈めてしまったものだし」

沙羅は薄い唇をいったんまっすぐ結び、それから言った。「それはきっと危険なことよ」

「危険なこと」とつくるは言った。「どんな風に?」

「記憶をどこかにうまく隠せたとしても、深いところにしっかり沈めたとしても、それがもたらした歴史を消すことはできない」。

この沙羅の台詞が、この物語でもキーフレーズになっています。記憶は隠せても、歴史を消すことはできない。

そしてつくるはそれぞれの友人達を訪ねて行きます。そう、まさに巡礼です。

「1Q84」や「ねじまき鳥クロニクル」ほど、「あっちの世界」に飛んじゃっていないストーリーなので、普通に楽しめると思います。特に物語の前半は、いったい何故つくるが追放されたのか、という点が謎になっているので、ぐいぐい読ませて、「ミステリーか、これは!」という感じです。

途中、いくつか謎のストーリーが挿入されています。大学の後輩、灰田(ミスター・グレイ)そして彼の話に出てくる緑川(ミスター・グリーン)など。カラフルな名前が沢山出てくるので、思わずボードゲームの「Clue」かと思ってしまいました。Mrs. Peacock、Colonel Mustard、Miss Scarlettとかね。

私は13歳の時に「ノルウェイの森 」を読んで以来、かれこれ25年も村上春樹の本を読み続けていますが、今回初めてグーグルやフェイスブック(どちらもカタカナ表記)が出て来て、さすがに時代が進んだな、と感心しました。

いくつか、意図が今ひとつつかめないストーリーも挿入されています。単なるエピソードで済ませていいのか、深読みしても今ひとつ理解出来なかったのが、「良いニュースと悪いニュース」のエピソードと、「六本目の指」のエピソード。「良いニュース/悪いニュース」は英語でよく使われるフレーズですが(”There’s a good news and a bad news” )、帯にまで載せるほど意味のあるエピソードには思えなかったのは、単に私の理解力が無いからでしょうか?指が一本多い人の話は過去の村上作品にも出て来ますので、村上氏の興味あるトピックなのかな、と思いますが。

物語の後半では、それぞれの友人と話をして行き、だんだんと真相があきらかになっていきます。前半はミステリーで読ませますが、この後半はゆっくり、じっくり読みたい会話が沢山でてきます。特に、最後に会う友人との部分は弱い人間の葛藤、そして精神の脆さに触れられていて、「ノルウェイの森」の直子、そしてレイコさんをなんだか思い出してしまいました。人の心の中にある闇、そしてそれを消してほしいと求める人間、このあたりは「ダンス・ダンス・ダンス」のキキの役割をふと思い出しました。そして、引用するこの部分は、特に美しい表現だと思いました。

そのとき彼はようやくすべてを受け入れることができた。魂のいちばん底の部分で多崎つくるは理解した。人と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって深く結びついているのだ。痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繋がっているのだ。

最後の章ではつくるが自分の人生を振り返る様子が描かれていて、特にドラマティックでは無いものの、静かに心を打ちます。色を持たず、これと言った向かうべき目的を持っていなかったつくるが、失いたくないと思うもの。

何度か読み返しましたが、私はかなり好きな本です。私は「ねじまき鳥」や「1Q84」のような「あっち系」の話も気になりませんが、村上作品のああいった非現実な話が苦手という人でも、この「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は入りやすいのではないでしょうか。是非読んでみて下さい。